山田さんが初めてレアル・デ・カトルセの存在を知ったのは、好きな鉄道を調べているときで、狭軌私鉄のOgarrio鉄道(廃線)、Matehuala鉄道(国鉄が買収標準軌道に改修最近まで稼動していた)から見つけられたとか。しかし、当時は交通が不便で実際に訪れることはできず、訪問を実現したのは99年になってからだそうです。
「しばらく前までは一般観光客もなくヒッピーだけが屯していたところでした。最近米国の観光案内にもしばしば紹介されるようになり、メキシコでも見直され、これを目当てに住む人も増えて土日は結構賑っています。
この地の名前はここに駐屯していた 副王の[Real=Royal]兵士14人が原住民(盗賊)に襲われ全滅したことからこう呼ばれる様になりました。
1772年、鉱脈が発見されて以来メキシコ最大の金銀鉱山として栄え、マキシミリアン皇帝もディアス大統領も大きな関心を寄せていました。1914年には予想もしなかったほど早い鉱脈の枯渇で閉山が決まり、栄華を誇り1900年始めには4万人が住んでいた都市が1920年には殆んど無人の地となりました。ここに電気、電話が入ったのは1962年ですが、住民は500人を越えることはありませんでした。
サンルイスポトシとサルティージョの中間にあるマテワラから西に27km行き左折すると、延々と続く眼を見張る素晴らしい石畳の舗道を通って25kmの所にあります。閉山した頃は未だトラック等重い車両が無かったので、道路は壊れずに保存さて来たのでしょう。バス等が通うようになって傷まなければ良いと願っています。
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国道から見たマテワラの街の入り口。
20kmも続く、多分現存する世界最長の石畳の道路。100年の歳月を経たとは思えない
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途中で出会ったただ一人のひと
ペトレロの精錬所跡
オガリオ・トンネルの入り口
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途中は殆んど村落も無く、荒涼とした荒地が延々と続き、人影も余り見当たりません。ペトレロの辺りにはサンタナ鉱山精錬所跡が見え、更に進むと、最後に狭くてすれ違いが出来ないため時間を区切っての一方通行を行っている、オガリオ・トンネルがあります。ここを抜けると目の前下に、レアル・デ・カトルセの町が広がります。最近ツアーバスで行けるようになりましたが、トンネルは通れず小型車に乗り換えて行きます。
この素堀のトンネルは2.3kmあり、1902年に開通した当初は驢馬鉄道でその後電車が走っていました。ここからペトレロ迄の短い区間の鉄道があって、同じく驢馬が牽いていましたが、1904年からは新たには注したShey型の機関車2台(製造番号#988,955)が活躍しました。廃鉱と同時に機関車による運転は中止されましたが、驢馬による運行は1920年まで続きました。
オガリオ・トンネル
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カトルセには最後まで鉄道は開通せず製品は馬車で鉄道のカトルセ駅に出ました。この道は現在荒廃しているが、ジープか小型トラックなら通れます。石畳の道路が出来てからはバネガスに運ばれました。
町の中は貸し馬もありますが、歩いて丸一日で十分に見尽くせます。どの建物にも窓にガラスが見当たらないのも異様な感じがします。宿屋も小さなのが数件あるので(お勧めはAbundancia tel488-887-5044)、月夜に泊まって廃墟をゆっくりと見て廻るのも粋なものでしょう。
街の中は全てが絵になる
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オガリオ・トンネルを抜けたところ。どの建物にもガラスがないため、反射がまったく見えない
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造幣所中に博物館が
コンセプシオン教会(1)
コンセプシオン教会(4)
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主な見所は小さい博物館になっている造幣所、綺麗に保存されたコンセプション教会(この中には住民が画いた色々な出来事の小さな画が沢山に奉納されて当時の様子を知るのに興味が湧く)、パロキア寺院、イダルゴ公園、闘牛場、闘鶏場、劇場、球技場、墓地とガダルーペ教会、沢山の抗口があります。が、本当の見ものは街の佇まいだと思います。人気の無い道路に立ち栄華を誇った時代の様子の風景を想像するのは楽しいものです。
コンセプシオン教会(2)
コンセプシオン教会(3)
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歴史
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墓地
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墓地
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グアダルーペ教会
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グアダルーペ教会
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アシエンダ跡
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アシエンダ跡
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1895年既にラレードで米国まで繋がっていた鉄道で、時の大統領が揚水ポンプ場の竣工式に出席するために専用列車で途中まで到着し、ここから馬でペトレロのサンタアナ、ラパス鉱山を訪問、さらに驢馬車を乗り継いで、レアル・デ・カトルセに着いたという記録が残っています。(この専用車はプルマン社史にも写真が残っている豪華な車両です。)
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駅舎
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今でも毎年、9月末から10月上旬にかけて、ナヤリ州のウイチョール族が数百キロの道のりをペヨテ(幻惑茸)を求め徒歩でやって来て、近辺のここで祭りを行っています。
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