第23話 「オハラタ」

オハラタはペイントで一通りの作業を終える。
狭い作業台にはいつもラジカセがある。

 グスマン家次男のオスカルは体がでかくて口は悪いけど、他人の相談に乗るときはなかなかシリアスでいい表情をする。キオが民芸品を探していると聞いて、すかさず壁に掛かったぺらぺらのオウムを指差した。

 「オハラタって言って、缶ジュースに使う鉄の板を細工して色を塗ってあるんだ。クリスマスツリーの飾り付けとか、壁に掛けたりしてよく使われるよ」

 さらにバスルームの入り口に飾ってある蝶々のところへもぼくらを連れて行った。どちらも50から60センチぐらいはあって、赤、青、黄、緑などの原色で塗られた板金細工だ。まるで飛び出す絵本みたいに1枚の板が立体となるよう工夫されている。興味をそそられたぼくらの反応を見て、オスカルはオハラタを作っている村まで車で連れて行ってくれることになった。これが2日前の夕方のことだ。

 モンテアルバンから昼過ぎに帰ったぼくとアチャは、市場で織物なんかをどっさり仕入れてきたキオと合流し、ゆっくり食事を取った。そして3時を少し過ぎた頃、オスカルのマリブで家を出発した。この車、長い間愛用してきたというのに、オスカルは家の電話番号を後ろの窓に貼り付けてしまった。「この車売ります」という広告なのだ。中古車を売るのに仲介業者なんかいらない、マリブが走っているのを見た人が電話で直接交渉するだけだ。オスカルは違う車に買いかえたいらしく、ぼくとキオにも買わないかと冗談で持ちかけてきた。ぼくらとしては「船で日本まで運んできてくれたらね」と答えるしかなかったのだけれど。

 直前になって三男ラウルと1番下の妹イルマも車に乗り込んできて、前に3兄弟、後ろにぼくら3人、総勢6人のドライブになった。車はとにかく横幅が広く、運転席の右にイルマとラウルが座ってもまだまだゆったりしている。走りがスムーズで宙に浮いているみたいだったから、「どうしてこんな気持のいい車売ってしまうんだろう?」とぼくは首を傾げてしまう。長い間この家族の持つアパートに住んでいたけど、考えてみればこんなふうに彼らと(つまり夫人なしで)ドライブするのは初めてだ。

 オアハカの中心を少し離れると、線路を並走する道がしばらく続く。以前は数時間に1回というペースでここに列車が通っていたのだけれど、今は草が生い茂ったり土で覆われていたりして、線路がところどころで見えなくなっていた。

 「地震のときに崩れてね、もう列車は通っていないの」

 不思議がるぼくにイルマが答えた。何年か前、確かにオアハカで大きな地震があった。ぼくはインターネット経由でそのニュースを知り、日本から思わずグスマン家に電話した。みんな無事だったけど、まれな出来事だっただけに相当怖かったみたいだ。そのときの傷跡がこんなところに残っている。もう列車で24時間かけてメキシコシティーまで行く人はいないということになる。

 ホホに到着して車を降り、一軒家に案内された。あまりにも普通の民家で、連れてきてもらわなかったらドアをノックすることは一生なかっただろう、そう思わせる。中からやたらと声の大きなおじさんが出てきた。オスカルやイルマはこの工房からいろんな飾りを買っている上得意らしく、「ああ、あんたたちか、よく来たね」というふうにそのおじさんは対応をした。ぼくらがオハラタを見たがっているのを知るとすぐにいろんな品物を出してくれて、あっという間に机の上がいっぱいになった。

 中でもぼくの目を引いたのは、ブリキ板で作られた冠だ。冠には頭にのせたときちょうどつむじのあたりで十字に交差する帯状の板が張られ、そこに3つほど筒が上を向いて溶接してある。これはオアハカを代表する伝統的な踊り「ダンサ・デ・ラ・プルーマ」(羽の踊り)で使われる冠で、筒には大きな羽の飾りを取り付けるのだ。1メートル弱ある扇型の飾りを支えるため、作りは見るからに頑丈そうだ。

 ぼくは何度もその踊りを見学したけれど、重そうな羽の飾りを頭につけて跳ね回るダンサーたちの強靭な足腰に感心するとともに、彼らの真剣な眼差しに吸い寄せられた。悲しげなメロディーにのせて踊られる「ダンサ・デ・ラ・プルーマ」は、征服にやって来たスペイン人と先住民族の戦士たちが戦う様子を表現しているらしいが、そんなシリアスな意味合いのために真剣な表情をしているのか、もしくは頭に着けた巨大な冠がずれないように必死なのか、ぼくには判断が付かなかった。その冠が、ここで作られていたなんて――。

 徹底して地元密着型のオハラタは、冠の他に鏡やクリスマスツリーの飾り、キャンドルスタンドなどが作られている。比較的実用品が多く、薄っぺらいけどカラフルで楽しい。作品を見せてもらった小さくて暗い部屋の壁には、10センチぐらいの小さな壁掛けがひしめいていた。天使、サボテン、ふくろう、ハチドリ、ワニなど1つ1つがすべて違う形をしていて、作っている人が楽しんでいるのがよく分かる。

 中庭の奥にある作業場を見学した。15歳ぐらいの少年が、大きなナイフを使って鏡を同じ形に切っている。道具や鉄くずであふれた殺風景な部屋で、慎重にいくつもいくつも同じ形を切り出しては几帳面に机の上に並べている。やっぱりそれぞれの村で職人となる人たちは、小さな頃からこうして黙って技を磨くのだ。この家の主人はよく通る大きな声で、使う道具や作業工程について説明し続けた。板金を切る、凹凸を作るために小さな金槌やドライバーのような道具を使う、色を塗る、ひたすらこれを繰り返すのだ。

 彼らが目指すのはあくまでもオアハカの人たちが使うもの、家の細かいところを遊び心で彩る、そんな品物だ。目立たなくていい、ちょっと壁に貼ったりして、ホッとしてもらえばそれでいいのだ。そんな謙虚な態度がこの鏡を切る少年にも受け継がれているようだ。キオは板金のフレームが付いた小さな鏡と大きなサボテンのキャンドルスタンドを、ぼくはソンブレロをかぶってうずくまる男の壁掛けを買った。手のひらにのるほど小さなその男は酔いつぶれたのだろうか、ソンブレロをかぶったまま膝の間に顔をうずめ、地べたに座り込んで眠っているように見える。

 ぼくらはもう一軒のオハラタ職人の家を訪ねてから帰路についた。でもオアハカに着いて3日目となり、午前中にモンテアルバンで日光をしっかり浴びたぼくにはじっくり作品を楽しめるほどのエネルギーが残っていなかった。マリブが走り出してしばらくすると、アチャが後部座席の窓に頭をくっつけて眠ってしまった。やっぱり時差はきついし、ハードスケジュールをこなして彼女も疲れているのだ。だけど、午前中市場を回っていたキオは意外に元気だった。ぼくとアチャは帰ったらゆっくりと休憩した方がいいみたいだ。

 家に戻る途中、車は市の外周道路の脇で停車し、オスカルとイルマが降りた。

 「ちょっと、紙を買いに行ってくる。すぐ戻るから待ってて」

 ぼくは何のことだかよく分からなかったが、聞くとイルマの手芸用だという。イルマは実は手先が器用で、いろんな人形やデコレーションをパーティー用に作って、その見返りにちょっとした小遣いを稼いでいる。それに使うための紙を買いに行ったのだ。イルマとオスカルが車から出て、アチャは眠ってしまった。だからぼくとキオは残された3男ラウルと、普段することのないようなちょっと真面目な話をした。彼は「オアハカから出たい」とそっと告白したのだ。今はセルフィン銀行で働いているが、大学でジャーナリズムを勉強したラウルは、やっぱり自分の専門分野で活躍することを夢見ている。

 「オアハカにはいろんな意味でチャンスが少ない。メキシコシティーのような都市で住めば違う働き口が見つかるだろうけれど、オアハカはぼくには少し小さすぎるみたいだ」

 ラウルは大学時代、5年ほどオアハカを離れメキシコシティーで暮らしていた。外を知っているからこそオアハカの限界を痛切に感じてしまうのだ。そしてそろそろ自分にもこの地を去るときが近づいている。

 6年たって訪れたこの町は、何も変わっていないように見えた。人の笑顔も風景も、そして酒のうまさも。でも大学時代に知り合った同世代の友人の多くに、ぼくは会うことができなかった。彼らはここを飛び出してしまったのだ。「美しく」て「人が親切」なこの地方都市は、あまりに「変わらない」がために彼らには物足りなく映ったのかも知れない。風光明媚な観光地が抱える強烈なジレンマ。この場所には本当にチャンスがないのだろうか。

 アチャが目を覚まして、ぼくらはこんな会話をストップさせた。オスカルとイルマも戻ってきて、にわかにマリブの車内は人口密度がアップする。でもぼくは6人が乗った車の中で、いつもクールなはずのラウルのもやもやとした心のうちを自分のことのように感じ取っていたのだ。

  


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