第22話 「歩き疲れたら木陰で」

モンテアルバンとうちわサボテン。
モンテは山、アルバンは白い花の名前だ。

 グスマン家の朝はボイラーに薪を放り込むことから始まる。バスルームの入り口にある銀色のボイラーは、細長い筒型で発射前のロケットを思わせる。木片をくべるたびに小窓から赤い炎が強くなるのが見え、それとともにゴーと低い音が響き、「そろそろ入っていいぞ」と乱暴に知らせてくれるのだ。一度でだいたいシャワー4人分ぐらいの熱い湯が出る。天井が高くて広い室内は、水が床にはねる音がエコーし、天窓の光が差すのも気持ちがいい。中が広い分寒く、浴び終わったら急いで身体を拭わなくてはならないけれど、タオルで拭き終わって冷たいタイルの上を素足で歩いていると心が軽くなったようですっきりする。ぼくはこんな朝の始まり方が好きだ。

 あんなに昨夜遅くまで遊んでいたのに、ぼくらは寝坊せずに起きることができた。キオがガルデニアの入った瓶の水をかえ、アチャもまだその花が元気に甘い香りを放つのを知ってうれしそうだ。順番にシャワーを浴びて遅い朝食を取り、ぼくはアチャと2人で近郊の遺跡モンテアルバンに遊びに行くことになっている。初めての街で観光地もろくに見ず友だちに会ってばかりしてきたから、アチャには1つぐらいピラミッドを見せてあげたい。キオはその間買い物だ。お土産も含めて民芸品を集めに市場を回る。オアハカに着いて3日目の今日は、1日中自由に動ける最後の日になる。メキシコシティーへ出発するのは明日の午後だ。

 ところでぼくがアチャにまともに知り合ったのは成田で待ち合わせをした日、つまり今からたった4日前のことだ。それまでにぼくは彼女がキオの弟と結婚する場に居合わせただけなのに、いきなり一緒にメキシコへ旅行することになったのだ。空港のレストランの前で彼女を見るまで本当に来るなんて信じられなかった。でもアチャは「本当に」メキシコまで一緒に来て、モンテアルバン行きのバスでぼくの隣に座っている。

 メソン・デル・アンヘルというホテルの裏から出発したバスは、10分もすると山の急な斜面を大きくジグザグに上り始めた。モンテアルバンはオアハカの先住民サポテコ族が王国を築いていた頃のピラミッドで、政治の中心地として9世紀頃まで機能していたという。外敵から身を守るため、小高い丘の上に城が築かれたので、ぼくらのような観光客はこうして急な斜面をバスで上がっていくしかない。そして駐車場からさらに階段や急勾配の坂を上って遺跡の入り口にたどり着いたとき、不意に開ける視界は壮観だ。街のすべてをのみ込む広大な盆地には、なだらかな山がぽこりぽこりと隆起して小さな雲の塊がところどころに浮かんでいる。気が遠くなるようなパノラマの中で地上を見下ろしながら、遺跡の入り口に続く階段でしばらく立ち尽くした。ここに来るたびにぼくは景色の遠くの方へ眼の焦点を一度放り投げるのだ。メキシコではたくさんの遺跡を訪ねたが、ぼくはここが1番美しいと思っている。

 「ちょ、ちょっと待って下さい。ゆっくり行きましょう」

 アチャには斜面やピラミッドの階段を上るのが相当きついみたいだ。でも考えてみればオアハカは最初から標高1500メートル。なのにその中でもとりわけ高い丘陵地の上にぼくらはいて当然空気も薄い。その上、長旅を終えて到着した途端ぼくらはアチャをいろんな場所に連れ回ったのだから当然疲れもたまっているはずだ。

 「ごめん、休み休み行こう。水をこまめに飲むようにして、疲れたらそこで座り込めばいいよ」

 ぼくらはホテルの売店で買ったミネラルウォーターで何度も口を潤した。乾燥しているから水なしで歩き回ったりすると干からびてしまうのだ。空はからりと晴れ、容赦なく照りつける日がまぶしくて少し痛い。

 この遺跡が作られた頃の天文学がいかに進んでいたかを、ガイドのガブリエルに連れてきてもらうたびに聞いた。それを説明するのに典型的なのが東側にある小さなピラミッドだ。3角形をしたピラミッドの斜面のちょうど真中辺りで、地面に向かって垂直に穴が開いている。サッカーボールも入らないぐらいの小さな穴が石を貫いて真下に向かって伸びているのだ。そしてその穴の底から、今度は水平に外へ向かって横穴が通じている。つまり縦と横から開けられた小さなトンネルが、ピラミッドのずっと奥で直角に開通しているのだ。

 そして驚いたことに1年にたった2日、その縦穴に向かって垂直に日光が射し込むという。それが5月8日と8月5日の正午だ。細くて長いトンネルに、光がまっすぐ下りる様子を横穴からのぞいて確かめることができるのだ。普段は真っ暗な穴の奥が光に一瞬照らされる。これは「モンテアルバンの不思議」の一例だけど、太陽の軌道や周期を綿密に計算して設計されたのは間違いない。でもサポテコ族が当時持っていた天文学の知識や技術の多くは現在に受け継がれていないという。太陽や月を何よりも大切にした彼らの伝統のいくつかは、悲しいけれどぷっつりと現代から切り離されて取り戻すことができない。

 そんな切れ切れの説明をして、ぼくはぼくなりにこの場所の興味深さを何とかアチャに伝えようとしたけれど、この遺跡の奥深さはぼくの生半可な知識では余りに役不足な気がした。

 天文台や球戯場などを一通り回り終え、歩き疲れたぼくらは背の低い木を見つけてその陰に座り込んだ。モンテアルバンはピラミッドを囲むようにして少し枯れかけた芝生が絨毯のように敷き詰められている。そんな絨毯の隅っこで地べたに座って休憩するのもいい。風が時折流れて木陰の体感温度はかなり涼しい。ぼくらはまるで時間が止まったみたいにちょっと無口になったり、思い出したように自分たちの生活について話したりした。新婚のアチャは新しい環境になじんでいるようだった。広い空間でゆるやかに時間が通り過ぎる感覚が日本から来ていると新鮮だ。

 遺跡の入り口へ戻り、そろそろ帰ろうかという段になってぼくは1人の大きな男と目が合った。オアハカ到着後、市内に向かう乗合タクシーで知り合ったあのアメリカ人だ。ソカロ近くで車を降り、大きなバックパックを背負って消えて行ったあの男だ。彼は石器のレプリカを売る現地人に囲まれて、人間をかたどった小さな置物を買っていた。どうしてこんなところで押し売りのレプリカをわざわざ買うんだろう?でもぼくは彼が10日間しか休みのない、短いメキシコ旅行をしていることを思い出した。きっとゆっくり買い物する時間なんかないのだ。

 これからどこへ行くのかと聞くぼくに、彼はミトラだと答えた。ミトラはモンテアルバンの次の時代に栄えたサポテコ族の都で、もちろんオアハカ観光の大事なスポットだ。でもどうやってここから行くんだろう?ここから行くとなると一度市内に戻ってバスターミナルまで歩き、ミトラ行きのバスを待たなくてはならない。

 「いや、タクシーを待たせてあるんだ。ハイヤーしたタクシーでここから直接走るつもりだ。良かったら一緒にどう?」

 時間があれば道連れもいいが、ぼくには彼よりも少ない時間しか残されていない。だから午後に予定があるので、と断った。旅の仕方を聞いてやっぱり彼はロスでビジネスマンなのだろうという確信をぼくは強めた。あるいは個人で何か事務所を開いて会計士や弁護士の仕事をしているかも知れない。しっかりとした語り口がぼくにそんな空想を抱かせる。

 学生の頃ぼくはできるだけお金を使わずに旅行することをいいことだと思い込んでいた。現地の人が使う移動手段で同じだけの料金を払い、安い定食を探して食べること、それが旅のルールだと勝手に思っていた。でもメキシコ滞在に費やせる時間が5日しかない今のぼくや、10日しかないこのアメリカ人にとって、それは必ずしも当てはまらない。遺跡巡りの時間を短縮するためにタクシーをハイヤーし、市場に寄る時間がないから群がってくる行商人から少し割高の土産を買う。以前なら絶対に嫌っていたそんな旅行スタイルも、今のぼくには完全に「あり」だ。短い時間でたくさんのやりたいことや見たいものがあって、それを効率よくこなすためにお金を少し余分に使うだけだ・・・。けれども、そこにはどうしても寂しさのようなものがつきまとう。多分彼も同じような感覚を嫌と言うほど味わっているはずだ。

 ぼくらは多くの観光客がそうするように、遺跡が一望できる1番北のピラミッドの上で写真を撮り合ってから、出口のところで別れた。彼は待たせてあるタクシーに乗り込むべく、ぼくらは帰りのバスを待つために階段を降りる。やっぱりぼくらはお互いの名前も知らないまま違う方向へと進んでいった。

 帰りのバスは斜面を急降下しながら、上ってくるバスと何度かぎりぎりですれ違った。スリルがあってジェットコースターみたいだ。山を下りたバスが市内へ大きなエンジン音を立てながら戻る途中、隣のアチャが少しだけ佐賀弁を教えてくれた。彼女は佐賀県出身なのだ。女の子が話すとかわいくて男が話すと骨っぽい、そんな不思議な言葉みたいにぼくには聞こえた。そして彼女はぼくのことをオニイサンと呼んだ。

  


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