第18話 「本当に小さな同窓会−前編−」

ソレダー教会の入り口。鉄の細工がさり気なくて美しい

 1時間のドライブを終えてやっと市内に帰ってきたぼくら4人は、グスマン家のすぐそばでタクシーを降り料金を支払った。家に入るなり買ってきたアレブリヘスを寝室に押し込んで、夫人にすすめられるがまま昼食を取る。ガブリエルを交えてグスマン家の食卓に座るなんて初めてのことだ。

 チーズをのせてオーブンで焼いたマッシュポテトをパンと一緒にほおばりながら、ぼくは壁の時計に何度も目をやった。ガイドのための講習会に出席するガブリエル、フロールと待ち合わせしているぼく、それぞれが4時に行かなくてはならない場所がある。フロールとぼくはカテドラル(大聖堂)の前で4時に落ち合うことになっている。なのに約束の時間はもうすぐそこだ。

 ぼくとガブリエルはあわただしく家を飛び出した。ソカロのすぐ手前まで歩いてから、ぼくらは固い握手をして別れた。分厚いイタリア語の本を小脇に抱えたこの街ナンバーワンのガイドは、通りを斜めに横切り、なだらかな上り坂へ消えていった。そしてぼくはそのまままっすぐソカロに向かって歩く。きっと何年か先まで彼と会うことはないんだろう――。

 フロールはオアハカで初めてぼくが友だちとして親しく付き合うようになった2つ年下の女の子だ。出会ったのはもう、9年以上も前のことになる。当時ぼくの友だちと言えば、クラスメートのアメリカ人がほとんどで、グスマン家以外でこんなにオアハカの人と親しくなったのは実は初めてのことだった。

 ぼくら2人の接点は、ぼくにとっての母国語であり彼女にとっての外国語である「日本語」だ。会計学を専攻するかたわら、彼女はなぜか日本語を勉強していた。日系企業はおろか日本人さえほとんど存在しないオアハカみたいなところで、どうして日本語コースが開設されているのか分からなかった。だけど、ただ1つ間違いないのは日本という国がメキシコ人にウケがいいことだ。KARATEやGEISHAなどの伝統文化(?)にあふれた「東洋の神秘」と、SONYやNISSANであふれた「技術的先進国」。一見両立しえない2つのイメージがみんなの頭の中でもやもやと広がり、憧れの国ナンバーワンみたいになってしまっている。

 ただそれだけの理由で日本語のクラスがあったって別にいい。どこで日本語を使うかなんて誰も気にしていないようだし。クラスを担当する日本人女性の先生を通じてぼくは学生たちに知り合い、ときどき開かれるパーティーなんかにも招かれるようになった。彼らの多くはアルファベットではない「奇妙な文字」に憧れてとか、観光客の女の子を「ナンパ」したかったりというちょっと曲がった理由で、実際はあまり役に立ちそうもない「日本語」を一生懸命勉強していた。

 ぼくはそんな愛すべき学生たちの役に少しでも立とうと授業に加わったりした。練習台にしてくれればいいと思ったのだ。でも先生のお手伝いのつもりが、みんなぼくと話したがって結果的に授業を妨害してしまったのだけれど...。

 ぼくが通っていた大学の語学センターでは、外国語を勉強する学生たちが留学生と「インテルカンビオ」している姿が見られる。インテルカンビオは「交換」を意味する言葉で、例えばスペイン語を教える代わりにアメリカ人の母国語である英語を学んだりする。ぼくなら日本語を教える代わりにスペイン語を習う。つまりお互いの語学知識を「交換」するのだ。このスタイルは外国語を覚えるには安上がりだし、おまけに外国人と仲良くなれるからメキシコの学生たちにとっては一石二鳥、留学生にとっては授業の補習をタダやってもらえるから、うれしいかぎりなのだ。

 フロールはぼくのインテルカンビオの相手を長い間してくれたのだけれど、とにかく整然としたきれいなスペイン語、そしてとにかくはっきりとした発音が習い始めのぼくにはもってこいだった。おまけに知らない言葉や習慣について質問すると、簡単な単語を使い噛み砕いて説明してくれる。申し訳ないけどスペイン語クラスの先生より分かりやすいと感じることがよくあった。ボキャブラリーの限られた外国人に、何かを分かりやすく説明するのは容易ではないはずなのに。

 インテルカンビオを始めた当初、ぼくは本屋で見つけたオクタビオ・パスの本を用意し、「一緒に読もう」などと無理難題を押し付けて彼女を困らせた。どうも最初から意気込みすぎてしまったようだ。いくらフロールの説明が分かりやすいからといって、中級レベルの語学力でややこしい評論なんか読めるはずもなく、授業が終わった空っぽの教室で初日からぼくらは立ち往生してしまった。

 「これ、私にも難しいかも知れないね」

 テキストを声に出して読みながら、フロールは少し諦めたような顔を見せたものだ。

 そんな堅苦しい勉強会が長続きするはずもなく、あっという間に週1回のインテルカンビオはおしゃべりの時間に変わってしまった。好きな音楽のことやお互いの専攻のことを話し、時には彼女の家に行ってお父さんのギター演奏を聞かせてもらったりもした。フロールのお父さんは本業のテーブルクロス織り以外に、トリオでボレロを弾き語るギタリスト兼シンガーもやっているのだ。他にもいろんなお祭りの行列に加わって町をねり歩いたり、いろんな民芸品を作る村に遊びに行ったりした。

 そんなふうに一緒の時間を過ごすうち、ぼくは彼女のことを「幼なじみ」みたいに思うようになっていた。新しい土地でできた初めての友だちにそんな不思議な親しみを覚えていたのだ。家族や親戚、それに犬や猫なんかとも仲良くなったし、家族ぐるみの付き合いはぼくを心底温い気持ちにさせてくれた。――それにしてもこの家の敷地には、犬や猫がたくさん放し飼いにされていていつも賑やかだ。家の中に我が物顔で入ってきてはだらだらと時間をつぶし、またプイッとどこかへ行ってしまう――。

 メキシコを後にして何年もたち、頻繁に往復していた手紙のやり取りも少しまばらになってきた。最後の手紙がフロールから届いたのはもう何ヶ月も前のことだ。ニューヨークの大学院で勉強することになった彼女は、引越し先が決まったら連絡すると言ったきり音信不通になってしまった。ぼくはメールを何度か送ったけれど、アドレスのどこかに間違いがあるらしく、その度に不達通知が返ってきてしまう。そうこうしているうちにとうとう連絡が取れないまま、ぼくはオアハカを目指して日本を出発したのだ。

 この旅で彼女に再会することをぼくはほとんど諦めてしまっていた。それでもオアハカにいながらフロールの家に電話しないなんてぼくにとってありえないことだ。例え少しの可能性でも試さないよりは試した方がいい。だからオアハカに着いたその夜、公衆電話から彼女の実家の電話番号をダイヤルした。家族の誰かと話ができれば、もしかしたら彼女について何か分かるかも知れない。ニューヨークの住所、今何をしているのか、今度いつオアハカに戻ってくるのか。いや、もしかしたら今近くにいるかも知れない。もしかしたら...。

 ぼくは電話を取った彼女のお母さんの言葉が信じられなかった。驚いたことにフロールはオアハカに帰ってきていたのだ。たった「4日間だけ」の夏休みを犬や猫がたくさんいるあの家で過ごしている。ここで電話していなかったら、ぼくらはまたずっと何年か先まで会えないところだった。そう考えると逆に恐ろしくなる。

 「オアハカに2人とも同時にいるなんて、まだ運命が私たちをつないでいるみたいね、なんちって・・・」

 フロールは冗談交じりにそんな言い回しをしてぼくを楽しませてくれる。電話で話しながら、ぼくらはお互いの短い滞在がオーバーラップした幸運に感謝した。日本とニューヨーク。2人はそんなはるか遠いところからこの街へ、時を同じくして戻ってきている。

 「明日、カテドラルの時計のところで待ち合わせしようよ。あの時計の下の石畳で、分かる? 時間は4時でいいのね? 分かった。でもよかった電話してくれて...」

 重い受話器を右耳に押し当てて声を聞きながら、ぼくは何とも言えない懐かしい気分にひたっていた。インテルカンビオをしていた当時も、こんなふうに電話で連絡を取り合い、会う場所や時間をよく相談していたのだ。たぶんぼくらはまた、ソカロを囲むカフェの1つでコーヒーを飲みながら、お互いの生活や共通の友人の話なんかをえんえんとするのだろう。

 変わらずはっきりと発音される言葉のひとつひとつを聞きながら、ぼくは彼女の大きくてしっとりした目と大きな金のフープピアスをぼんやり思い出していた。

  


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