第15話 「動物たちはどこへ? そして山羊男は? -前編-」

豚は荷台に上がるのも一苦労だ。ひずめが滑ってしまう。

 8:00AM――。

 ガブリエルがブザーを鳴らした。低くて短い電気音だ。余りにも時間ぴったりなので、ぼくらは朝からあたふたした。約束の時間になって「さあ、出かけようか」と腰をあげるのが、メキシコ人にありがちな待ち合わせだから、ぼくらはまさか時間厳守で来るとは思っていなかったのだ。

 ガブリエルがプロのガイドとして、時間にうるさい外国人を相手にしていることをすっかり忘れていた。オアハカ滞在2日目の今日は、彼にカラフル動物彫刻の村、サン・マルティンまで案内してもらうのだ。

 ブザーが鳴ったとき、ぼくらはシャワーを順番に浴び、オスカルが出勤前に作ってくれたスクランブルエッグとフリホレス(豆の煮物)をほおばって、オスカルって結構料理できるじゃないかと感心していたところだったのだ。大きな体で意外にまめだ。

 戸口から入ってきたガブリエルは、いつものハイトーンな声でぼくの名を呼び、がっちりとぼくらは握手した。髪をオールバックにしているせいか、ぼくの知っている20代の頃より貫禄があるように見える。手には分厚い本を抱え、薄く茶の差したサングラス、胸にボールペンをさしている。

 グスマン夫人はガブリエルをダイニングに通し、ぼくらが朝食をかきこんでいる間、初対面の彼と話していた。

 「オアハカで1番のガイドなんだ。スペイン語だけじゃなくて英語、フランス語、イタリア語でもガイドするんだ、信じられる?」

 ぼくはそう口を挟みながらきっと母親に友だちを自慢する子供みたいに、得意げな表情をしていたに違いない。夫人も黙ってそれにうんうんと頷いた。間違いなく彼はぼくの自慢の友だちだ。

 家を出たぼくらは、ソカロへ向かって2ブロックほど歩いた角で坂を下ってくる車1台1台に目を凝らした。これから郊外へ出る「足」を確保するのだ。教会の脇をバスにまぎれて、時折下りてくる空車を見つけてはガブリエルが大きく右手を上げる。

 「アミーゴ、これからサン・マルティンまで行きたいんだけど、5時間ぐらいこの車ハイヤーできないかな?」

 助手席側のドアを開け、ドライバーの顔を覗きこむ。あたりのやわらかい話し方だが、自分の要求することははっきり伝えるのがガブリエル流の交渉だ。

 最初の運転手は1時間100ペソだと言った。でもガブリエルの友だちなら70ペソで走ってくれるらしい。「次を探そう」とその車が走り去るのを見送ってから、同じことが何度か繰り返された。

 5、6台空車を止めて値段を聞いていくうちに、80ペソ以下にはならないことが分かってきた。日本円にして1時間およそ1000円のハイヤータクシーだ。たとえ高くても、とにかく出発しないことには始まらない。ぼくらはここで時間を費やすことをやめ、車にいっせいに乗り込んだ。

 痩せ型の若い運転手は無口だが人の良さそうな顔をしている。ぼくら3人は後部座席、ガブリエルは助手席に乗り、車を走らせた。幹線道路をひたすら南へ、オコトランを目指す。この大きな村の少し手前に今日の目的地、アレブリヘスの産地サン・マルティンがある。セダンの座席に身を沈め、ぼくは無限に広がる空間を、そして窓から吹き込む乾いた風を楽しんだ。

 「家を買ってね、今は毎月少しずつ借金返しているよ」

 ホホコトランという村に家を建てたらしい。久しぶりに会ったガブリエルとぼくは前と後ろの座席でいろんな話をした。車が走っている間中ずっとだ。古い友達や彼の兄弟の近況、仕事のこと、そして大統領がフォックスに代わってどうなるのか、そんな話までした。

 途中たくさんのなだらかな丘を越えながら、小型のトラックがいろんな動物を荷台に載せて走るのを何度も見かけた。豚や牛がぎゅうぎゅう詰めでじっとしているのだ。道が直線になるたび、そんなトラックをぼくらは何台も追い抜いた。

 「そうか、今日は金曜日だった。みんな運がいいね。オコトランで家畜の市場が開かれる日だ。だからこんなトラックが走っているのを見られるんだよ」

 オアハカ近郊では、1週間に1度いろんな村でティアンギスと呼ばれる露天市が開かれる。野菜や花、ソンブレロや陶器なんかの出店がどこまでも軒を連ね、お祭りのように大賑わいするのだ。オコトランのティアンギスは金曜日だ。

 「ねえ、その市場、サン・マルティンから遠いかな?」

 「いや、方向は同じだから10分ぐらい寄り道すればいいだけだよ。見に行ってみる?」

 連続して動物積載トラック群を目撃し、相当に興味をそそられたぼくは、キオとアチャの方をうかがった。2人も同じことを考えていた。せっかく来たのだから見られるものは全部見たい。ぼくらは予定より少し遠回りして、珍しい家畜の市を見に行くことにした。

 (後編に続く)

  


このページのトップに戻る

エッセイコーナーのトップに戻る

トップページに戻る