第十話 「コミーダとシエスタ」

天窓からの光だけで、この食卓はじゅうぶん明るい。

 シエスタ。

 とうとうベッドで眠るときが来た。シエスタ(昼寝)はこの国では合法だ。ぼくはシャワーを浴び、髭を剃り、Tシャツを着替え、やっとくたびれた身体をベッドに横たえたのだ。足を伸ばして寝ることの何という開放感。

 ところで日本を発ってからというもの、どれくらい横にならずにいたのだろう。成田、ロス、オアハカ、ほとんどの時間を座りっぱなしで過ごした。本当の最終目的地だったこのベッドまでたどり着いたのは、出発翌日の昼過ぎ、つまり時差を入れてざっと40時間後だった。今、日本は「明日」の夜明け前だ。でもこれで長い移動の片道が終わる。真昼間から、堂々と眠れるのがこのときばかりはありがたかった。午前中はみんなと話していて、あっという間に時間が過ぎていったから...。

 グスマン夫人には、3人の息子ペペ、オスカル、ラウルと、娘イルマがいる。みんなそれぞれ仕事があるから、平日の午前中は家にいない。長男のペペは銀行員で、同じ敷地内の一番奥の家に家族で住んでいる。出張で隣の州プエブラに出ていて、残念だけど明後日まで会えないが、奥さんのココがぼくらを出迎えてくれた。小麦色の肌に大きな目、すらっと伸びた脚が相変わらず格好いいが、子供が大きくなってきて「母さん」的色合いが強くなったみたいだ。ぼくが持っていたイメージより少したくましく見える。

 まだパジャマ姿の二人の娘マーフェルとサラは、母さんの脚の後ろから顔を半分だけ出して、立ち話するぼくらの様子を黙ってうかがっている。どうも突然の客に戸惑っている。そりゃそうだ。ぼくが最後に会ったときマーフェルが2歳、サラは生まれたばかりだったから、ぼくの顔なんか覚えているはずがない。でももう小学生になるのだ・・・。

 会計事務所で働く次男オスカルは、ぼくらが到着した朝10時過ぎ、仕事中にもかかわらず家まで会いに帰って来てくれた。連絡していれば空港まで迎えに来るつもりだったことも後で分かった。

 極度のお人好しの彼は、以前仕事で赴任していたワトゥルコ(オアハカで最も美しいと言われる海岸の街)の家を引き払ってオアハカ市内に戻る際、持ち物のほとんどを貧しい人たちに分け与えた。驚いたというか、あきれたことに所持金もあげてしまい、手元に残った服だけを無造作に車に突っ込んで帰ってきたのだ。もちろん夫人もこれにはあきれ返り、山となった洗濯物の前で立ち尽くした。そんなオスカルだから上司に断って、仕事中に空港へ車を走らせるのも、ごく当たり前のことらしい。

 オスカルとぼくは久しぶりに再会したというのに、お互いの言葉尻をつかまえては、相も変わらず皮肉いっぱいの冗談を言い合った。太った顎を見せながら上を向いてうれしそうに笑う丸い顔。大きな口がヒヒと笑って広がり、白い歯がギラッと光る。金髪と白い肌は亡くなった父親譲りだが、痩せ型だったお父さんと違い、まるまるとした身体は相当な貫禄だ。ぼくは動物にたとえると鯨だと思う。彼は人に安心感を与える太り方をしている。

 グスマン家に初登場したアチャを彼に紹介した。でもぼくは「キオの弟の奥さん」というまどろっこしい言い方でしか、彼女と自分の続き柄を説明できなかった。実の弟の配偶者ならスペイン語で「クニャダ」となるが、では義理の弟の配偶者となるとぼくにそのボキャブラリーはなかった。

 「ということはつまり、」

 少し考えてオスカルが、言った。

 「コンクーニャになるんだよ」

 コンクーニャ。義理の弟の奥さんをそう言うらしい。オスカルはいつも難しそうな単語を使ったとき、意味分かる? とぼくに確かめながら話を進める。だからぼくは結構彼に鍛えられたし、今度も同じように単語を教えてくれて、何だか学生時代のときを思い出した。新しい言葉を実際使って憶えるのは、買ったばかりのシャツを徐々に着こなしていくみたいで気持がいい。

 しばらくして今度は末娘のイルマからも電話がかかってきた――。キッチンで受話器を持って夫人が手まねきをしている。

 「ただ声が聞きたくて電話したんだって」

 イルマはぼくがグスマン家のアパートに住みだした当時、つまり1991年にはまだ高校3年生だった。つまりぼくが21歳の頃、彼女は16歳だったわけで、まだあどけない目をしたかわいい女の子だった。ぼくがオアハカで初めて参加したフォーマルパーティーは、彼女の高校卒業式だったのをよく覚えている。そのときイルマのドレスを、メキシコシティーまでバスに乗って買いに行き、母娘二人は2日間家を留守にした。後から考えると、あの時以外夫人が家を空けることはなかったように思う。

 パーティーではみんなが同級生カップルで踊っていたのに、彼女は兄のラウルやオスカルとばかり踊っていた。もちろんぼくとも踊ってくれたけど。彼女に恋した男子生徒が、セレナーデを贈りに家まで来たときも、絶対に家の窓を開けなかった。その男の子はわざわざギタートリオを雇ってラブソングをプレゼントしたのに、結局イルマは恥ずかしがるばかりで「バカじゃないの!」と連発していた。そんな彼女にも、今はぼくと同い年のミゲルというボーイフレンドがいて家族ぐるみの付き合いをしているらしい。

 銀行で働くイルマは、やはり仕事中にもかかわらず電話してくれたのだという。受話器の向こうでイルマが小声でささやいた。

 「どうだった移動は? やっと着いたんだね。2時半にはごはん食べに帰るから。え、わたし?元気に働いてるよ。銀行でこそっと電話しているの。それにしてもよく来たね...」

 4人兄弟の末娘は、相変わらず甘えた声をしているけれど、それでもちゃんと働いているのだと思うと不思議な感じがする。大学に通いだしたときも結構不思議だったのに。――そう言えばもうすぐ結婚するのかな。そうなったらお母さんさびしいだろうな。あ、でも相手に家に来てもらえばいいのか。などと昔から知っているので本当に余計なことまで心配してしまう。

 そしてぼくが6年ぶりに再会した彼女は、キャリアウーマン風OLにでも変身しているのかと思いきや、どこも変わっていなかった。もちろんお母さんの血を引いて美人だけど、シンプルで決して派手には着飾らない主義らしい。でもあえて以前と違うところを挙げるなら、大学生の頃はいたずらっぽいニヒヒという笑い方だったのに、今はやさしく落ち着いた笑顔になっているところだろうか。

 みんなといろいろ話しているうちに、すぐ昼食の時間がやって来た。夫人が腕によりを掛けたごちそうを食べながら、存分におしゃべりできる昼休みの始まりだ。昼食にボリュームのあるものを食べ、朝、夕は軽いものを食べるのがメキシコの食習慣だ。だから昼はゆっくり食べる。楽しくみんなで食べる。よく噛んで食べる(のだと思う)。食べたらそのまま仕事に戻ってもいいし、ほんのちょっとだけベッドで休むのもいい。そんなオアハカの昼下がりは街中がリラックスし、仕事でこわばった心をほどく2時間だ。

 イルマだけでなくオスカルも帰ってきた。朝に続いて何だかんだとちょっかいを出してくる。ぼくらをからかっては上を向いて笑うその得意げな表情は、30半ばにはとても見えない。これじゃただのいたずらっ子だ。続いてココも、娘二人を連れてがやがやと入ってきた。今度はしっかりおめかしした子供たちは、「おばあちゃん」と甘えてはテーブルに座る夫人に背伸びして抱きついている。さらに夫人の姪にあたるルーもやって来て、食卓は途端ににぎやかになる。

 ぼくらもその輪の中でワーワー言いながら食事を一緒に取った。昼食はこうでなくちゃと思いつつ、ぼくは一人足りないぞと目を泳がせた。三男のラウルが帰ってこないのだ。年齢が近いラウルは、この家族の中でも1番親しいぼくにとっては兄貴のような人だ。

 「ラウルは戻ってこないよ。でもセルフィン銀行で働いているから、後で会ってくればいいよ」

 夫人がそう教えてくれた。勤務中でも呼んでもらえば簡単に会えるという。聞くところによると何やら自分のキャビンまで持っているらしい。???? そんなに偉くなったのか? 真相を突き止めがてら、セルフィン銀行まで両替をかねて遊びに行くことにした。確かセルフィンはソカロ(中央広場)からすぐ近いところにあった。

 でもその前に、シエスタだ。やっとたどり着いたこのベッドに深く身体をうずめなくては。やっぱり今はこのさらさらシーツにくるまって...。

  


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