第三話 「ロスで半日過ごすことになりました・・・」――(ロサンジェルス・クラウンプラザホテル)


今回使ったテレカは2枚。左はデルタにもらったもので右はメキシコで買ったもの。

「どうしたの? 今晩着くって言ったじゃない。えっ? 飛行機が遅れた? 明日の朝着くって、残念ね。ポソレ作って待ってたのに、今晩で全部なくなっちゃうよ」。

 ロスの空港から電話したら、グスマン夫人は何とも残念そうな声をもらした。でも多分ぼくの方が「残念さ」の度合いでは勝っている。7年前アパートを借りていた頃、よく好んで食べていたのを夫人はしっかり覚えていて、ポソレ(超巨大!とうもろこし入りスープ)を用意してくれていたのだ。

 その上オアハカの空港まで、次男オスカルが仕事を抜け出して車で迎えにくる手はずも整えていてくれたという。でも到着するはずだった夜8時には、まだまだロサンジェルスから抜け出せない。グスマン家のベッドはまだまだ遠かった。もちろん日本に比べたら近くなったが、やっぱりまだ遠い。ぼくらは取り返しのつかない遅れを、旅の始まりで取ってしまったようだ――。

 乗り継ぎができなかった人のために設けられたカウンターは、成田からの日本人客(もちろん日本人だけではないが、でもほとんどがそうだった)が何列にも並んで、自分の番がやってくるのを力なく待っている。みなアメリカ国内便で他の都市へ乗り継ぐはずだった人たちだ。

 デルタ航空のおばさんがいちいち「英語話しますか?」と聞いては、反応が少しでも鈍いと通訳の職員を呼ぶ。彼女にとってはコミュニケーションをきちんと取れるかどうか、それが第1関門なんだと、やや気の毒になる。

 行列でさんざん待たされた挙句、おばさん――「ロンダ」という名前だった――が用意した代わりのフライトは、真夜中12時発のメキシコシティー経由オアハカ直行便だった。

 「メキシコシティーでストップオーバーするけど、オア...何て読むのかしら?あー、オアハカ? まで直行便だから、これが1番いいわね」。

 ロンダおばさんはOAXACAという見慣れない地名を何度も聞き返しながら言った。出発まで休むホテルはデルタが用意してくれた。

 この便はつまり成田で森川さんが間違って調べてきて、こっちが断ったオアハカに翌朝一番に到着するやつだ。でももう他に選択肢は用意されていなかった。置いてけぼりを食った時点で、1日の精魂を使い果たしたぼくは、もう「何で間に合わないフライトを予約したんだ」とか、「もっと早くオアハカに着ける便はないのか」とか、「ホテルは晩飯だけじゃなく、昼もそっち持ちで出すべきだ」とか、食い下がったりする元気もまったくなくなっていた。

 誰かが空港の中にいる人は9割がたが何かを待っていると言ったが、まったくその通りだ。みながみな何かしらを待っている。飛行機を待つ、迎えの車を待つ、到着する家族を待つ、そしてチェックインする番がくるのを列でじっと待つ。ぼくらは飛行機が到着してからいろんな待ち時間を経て、2時間後にやっと空港から解放された。今となってはホテルのベッドにただ体を沈めたいだけだった。日付で言えば日本はもう「明日」の朝5時だ。

 「夜10時ごろにはチェックインしてちょうだい。フライトは12時発だから。それからクラウンプラザにはあそこの出口を出たところでバスに乗って」。

 ロンダおばさんは、ぼくの背中に連なるお疲れ日本人たちに目をやっては、ぼくらのフライト変更の処理をため息混じりに済ませた。やれやれ。空港にいる人は9割がたが疲れている。

 急に半日ぽっかりとスケジュールに穴が空いてしまった。今はとにかくベッドに横になりたい。もしそのまま夜まで眠ってしまってもいい。それほど体は休息を要求していた。短い休みを削り取られ、精神的にも磨り減っていたのだ。

 ホテルは空港からたぶん最も近い「クラウンプラザ」で、毎15分ごとにシャトルバスが空港との間を往復している。航空会社のクルー、街の中心まで行く時間さえない多忙なビジネスマン、そして乗り継ぎを失敗したぼくらのような客なんかが、数時間、もしくは一泊だけのために利用するようなホテルだ。

 ロスに行ったことのある人ならよく分かると思うが、メキシコ系の人がとにかく多い。多分なまりの強い英語でまくしたててくるラテン系の人たちに、たじたじという経験をした人もいるはずだ。でも歴史を遡れば、もともとここはメキシコの領土。そんな人たちをわずらわしく思わないで欲しい。

 ぼくらがチェックインしたクラウンプラザにも、受付、メイド、ベルボーイ、レストランのウェイター、それぞれの持ち場でメキシコ系と思われる人たちが働いていた。受付のおばさんも、英語で話すとすごく突き放したような冷たい印象を与える。でも仲間うちでは楽しそうにスペイン語で話している。本当はぼくらもスペイン語話せるんだけど...。

 せっかく何かの縁でロスに半日いることになったんだから、何とか楽しむ方法はないか。部屋でしばらくじっとしているうちに、だんだん疲れより外へ行きたい気持ちが盛り上がってきた。空はスカッと濃い青で、外にいたほうが気持ちいいんじゃないか。時間がもったいない。何でも良かった。アメリカ大陸初上陸のアチャもいることだし、街を少しばかりミーハーに観光するのも悪くない。でもそれには短時間で終わる都合のいい方法を見つけなくてはならない。

 部屋からロビーへ下り、誰かにヒントをもらおうと質問できる人を探していたら、口ひげをたくわえた眼鏡のベルボーイが話し掛けてきた。

 May I help you? どうやらメキシコ系らしいが、それにしては英語の発音があまりに自然だ。でもそのときのぼくは、いくら英語がうまかろうが、スペイン語圏の人とわざわざお互いの「よそ行き言葉」=「英語」で話すほどまどろっこしいことをするエネルギーは残っていなかった。スペイン語で話せるなら、それにこしたことはない。だから、観光のことを聞く前にスペイン語を話すのかどうか聞いた。一応ぼくの方からは、まず英語で。

 そして案の定答えは元気なスペイン語で返ってきた。

 アブラ エスパニョール タンビエン?(あなたもスペイン語話すんですか?)

 そう言いながら彼は、今までのビジネスライクな英語顔とはうって変わって、人なつっこさを急激に取り戻し、ラテン系にっこり顔になった。

 「そう、日本人だけど話すよ」。

 日本人がアメリカでメキシコ人とスペイン語を話す。考えたら何だかややこしいが、ぼくにはこの方法が一番近道で直接的だ。それにしても言語によって、人の印象はこんなにも変わるのかと少々戸惑いつつ、急激にフレンドリーに変身したこのお兄さんに相談にのってもらおう。昼ごはんも食べてなかったし。

 注)「グスマン夫人」は以後何かと登場してきますが、「夫人」のところは「ママ」と読んでください。その際後ろの「マ」にアクセントを置いて。ママ−_っていう感じです。

  


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