■■Panchitoのラテン音楽ワールド■■

Archivo #019
スペイン語圏、国が変われば言葉も変わる?

 ラテンアメリカの大半はブラジルを除けば、スペイン語を公用語としている国だ。私が大学で習ったのは「スペインのスペイン語」が中心だったが、それでもラテンアメリカに行って話が通じない、なんてことは全く無い。多少の違いはあるが、英語や日本の方言と比較してみれば地域ごと・国ごとの差は驚くほど少ないといえるだろう。植民地時代以来のスペイン語&キリスト教化という「文化的一元化」を推し進めてきた結果である。

 とはいうものの、同じ物の呼び方が異なっていたりするケースはままある。最近そういうケースだけを集めた辞書を入手した。"Multicultural Spanish Dictionary"というアメリカで出た本で、英語との対称で各国での呼び名が乗っている。面白そうなところを挙げてみると...

*bowtie(蝶ネクタイ)
=corbata mariposa(一般)、monito(アルゼンチン)、corbata degato(ボリビア)、corbatin(コロンビア)、pajarita(キューバ、スペイン)、corbata michi(ペルー )など

*cute(キュートな)
=divino(アルゼンチン)、amoroso (ボリビア)、simpatico (チリ)、 primoroso(コロンビア)、guapo (キューバ)、gracioso(ドミニカ、エクアドル、パナマ)、chulo (グアテマラ、ホンジュラス、ベネズエラ)など

* angry (怒っている)
=enojado (一般)、bravo (キューバ、コロンビア、ベネズエラ)、 furioso(ドミニカ)、enfurecido(エクアドル)、enfogoso(プエルトリコ)

*turtleneck(タートルネック)
=polera(アルゼンチン)、beatle(チリ)、buzo(コロンビア)、cuello tortuga(ドミニカ、パナマ、ベネズエラ)、cuello Jorge Chavez(ペルー)、rompeviento (ウルグアイ)

* hitchhike (ヒッチハイクする)
=hacer autostop(一般)、hacer dedo(アルゼンチン、チリ)、echar dedo(コロンビア)、pedir ride(コスタリカ)、pedir bola(ドミニカ)、pedir jalon a dedo(中米)、tirar dedo(ペルー)、pedir pon(プエルトリコ)、pedir cola(ベネズエラ)など

 ...といった具合。「ん?」というのも中にはあるが、スペイン語のわかる方なら楽しめるだろう(都合によりアクセント記号等がないのはご了承を)。それにしても「タートルネック」のペルーでの呼称「ホルヘ・チャベスさんの襟」とは? ペルーに同名の飛行機パイロットの先駆者がいるようだが...? ウルグアイの「風を破るもの」という表現もすごい。ドミニカの「ヒッチハイク」"pedir bola"は直訳で考えると誤解されそうな感じが...とにかく一般的に言ってカリブ海のスペイン語に独自の語彙が多いことは確か。

 私自身もキューバに行った時、バスを"guagua"(キューバ訛りで「ワワ」と聞こえる)と言ってるのを聞いてびっくりした。クラクションの音から来ているらしいのだが。

 アルゼンチンの地下鉄"subte"がメキシコでは通じず、実は"metro"だった、という想い出もある。大学では朝の挨拶は"Buenos dias"と習ったが、アルゼンチンではほとんどの人が "Buen dia"と単数形だった。まあ、タイプはいろいろだが中南米に行ったことのある人なら似たような経験をしているはずだ。
 さて、このままだと音楽の話が出てこない。こじつけでアルゼンチン・タンゴの古典名曲「エル・チョクロ」El chocloの話を書こう。"choclo"とは「とうもろこし」のことだが、アルゼンチンとのその周り以外ではあまり使われない。普通は"maiz"というものである。

 この「エル・チョクロ」曲は1903年に初演されたという古いタンゴだが今もよく演奏される。作曲したのはアンヘル・ビジョルドという歌手。といってもサーカスのアトラクションとか新聞売りのついでに時事を盛り込んだ即興歌を歌うことを得意にしていた人。この曲に最初から歌詞があったかどうかについてはわからないが、1910年頃ビジョルド自身が録音した時にはとうもろこし料理のおいしさが歌われていた。しかし次第に器楽曲として盛んに演奏されるようになり、1930年代にカルロス・マランビオ・カタン作の場末を歌った詞がつくがあまり歌われなかった。1947年、当時メキシコで活動していたルイス・ブニュエル監督の映画「グラン・カシーノ」の中で、亡命中のアルゼンチンの女優リベルタ・ラマルケが歌うために、有名な作詞家エンリケ・サントス・ディセポロに依頼して新たな歌詞が誕生。この詞は今もよく歌われる。さらに1953年には英語の歌詞がついて"Kiss of Fire"となり、アメリカでヒット、中南米でそれを逆輸入した "Beso de fuego"なんてのもあった。

 当の作者ビジョルドは古い世代の人だったこともあり、著作権の恩恵に浴することもなく、極貧のうち1919年に他界。もちろんその後の「エル・チョクロ」の変身を知ることはなかった。

 私の手元にある上掲のオリジナル楽譜に歌詞は載っていない。その後についた歌詞は一切「とうもろこし」と関係ない話になっており、タイトルの由来は永遠の謎になっている。