Archivo #006
ルーチャ(=戦い)・レジェス(=王たち)という名はとても男らしいものに思えるかもしれないが、実は女性の名前である。そしてラテンアメリカにはこの勇ましい名前を持つ大歌手が2人いる。時代、国、分野も全く異なり、全く偶然の一致でしかないのだが、それぞれの人生は不思議な共通点をみせる。 メキシコのルーチャは1909年ハリスコ州の生まれ。ロサンゼルスに移住した後、メキシコ・シティでクラシックのソプラノ歌手として成功を収める。ところが発声に無理があったのかある日声を失ってしまう。1年間の療養生活を経て声は取り戻したが、もはや以前の美声はなく、やむを得ずアクの強い地声でポピュラーの分野に転向する。今以上に男性主流だった1930年代のメキシコ音楽界でその存在は特異だったにちがいない。しかし時代はルーチャに味方した。それまで田舎楽団とさげすまれていたマリアッチが、1934年大統領に就任したラサロ・カルデナスの遊説に同行したことで広く知られるようになり、ルーチャは自分の伴奏楽団にそのマリアッチを選び成功したのである。伝説のスター、ホルヘ・ネグレーテと共に、ルーチャはマリアッチ伴奏による民謡調(カンシオン・ランチェラ)の先駆者となった。メキシコのすべての女性歌手が今も手本として彼女をあがめているという。しかし栄光は短く、1944年、わずか35歳でルーチャはその生涯を閉じてしまう。 上掲CDはルーチャは亡くなるまでの7〜8年間にRCAに残した名唱を集めたもの。残念ながら日本では30年以上前にLP片面が発売されただけ。男勝りに歌い、泣き、(彼女の得意レパートリーだった「ラ・テキレーラ」で)酔っ払うルーチャが聞ける。 もう一方、ペルーのルーチャはリマ市の貧民街で1933年に生まれた。生後半年で父親と死別、16人の兄弟と母親だけの生活は困窮を極め、ルーチャも孤独な8年間を養護施設で過ごさざるを得なかった。そのためか歌に目覚めたのは遅く17歳の時、デビューしたのは25歳になってからだった。もとより病弱で歌手活動も途切れがちだったが、1970年ペルー・ワルツ「戻っておいで」(Regrasa) が大ヒット、「ペルーの黄金のモレーナ」(La morena de oro del Peru)と呼ばれる人気歌手になる。その後も病気と戦いながらレコード制作を続け、人気歌手として貧しい人々のあこがれの存在となった。しかし、1973年ルーチャは思い立ってある作曲家にペルー民衆との別れをテーマにした作品を依頼、そして完成した「わたしの最後のうた」という曲を録音してまもなく心臓発作で40歳という短い生涯を閉じてしまう。真の彼女の栄光はわずか3年間に過ぎなかったのだ。 上掲CDはその「最後のうた」を筆頭にしたラスト・アルバムの復刻。哀愁あふれるペルー・ワルツ(vals peruano)を中心にした絶唱の数々である。「レグレーサ」他初期録音・未発表録音を含む「ルーチャ・レジェス・メモリアル」(テイクオフ TKF-2822)もある。いずれも原詞と対訳を完備、素晴らしい解説もついているのでじっくり味わうことが出来る。 2人のルーチャ・レジェスは決して交わることのない人生を送ったが、短かくも力強く歌手として生き抜いた点にLucha (=戦い)という名の共通の運命を感じる。 |
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