オトキータ、エレファントマンに変身!の巻

1999年某月某日。

今日は私の誕生日。会社の同僚たちが、豪華にも生クリームたっぷりの2段ケーキでお祝いしてくれた。夜は夜で気の合う仲間とイタリア料理に舌鼓。う〜ん、幸せ。

翌朝。

仕事始めにコーヒーを、とオフィスの給湯室に行くと、冷蔵庫の上に昨日のケーキが置かれていた。まだ半分近くも残っている。巨大なケーキを前に心が痛んだオトキータ。同僚たちがお金を出し合って買ってくれたケーキである。もったいないので、さっそく朝食代わりにいただくことにした。

「ブエノス ディア〜ス!(おっはよ〜)」

ケーキをお皿に取り分けていたら、同僚のマウレン嬢がやってきた。長身の彼女は、私の肩越しからヒョイと手をのばすと生クリームを指ですくってなめるなり言った。

「ワッカラ!(おぇっ)」

そして、

「ねぇオトキータ、これ傷みかけてるから食べるのやめなよ」と言い残して去っていった。

う〜む。しかし、このまま捨ててしまうわけにはいかない、という変な使命感にとりつかれていた私は、お皿を片手にデスクへと戻るとケーキを口に運んだ。もぐもぐ…。

(昨日よりも、何だか甘酸っぱいけど、これはこれで美味なヨーグルト風味。)

結局のところ、全部きれいに平らげた。さすがにお皿はなめなかったけれど。

この日は午後から上司がパナマに出張する日。たまたま夫人も日本に一時帰国中だったので、子供(中学生と小学生の女の子)ふたりでお留守番は心細かろうと、私がお泊りに行くことになっていた。夕食を済ませ、仲良く並んで遅くまでテレビを見た後、床に就く。次女のアンナちゃんが、自分の寝室を快く提供してくれた。実はアンナちゃんのベッド、ふわふわのふかふかで寝心地がとてもよいのだ。(何を隠そう今回は二回目のお泊り。)ぐっすり眠れるなぁ〜と思っていたのに、突然のかゆみでなかなか寝つけず。電気をつけてパジャマの袖をめくると、ぽつぽつと赤い湿疹ができていた。(あれっ、虫にでも刺されたかな? でも、どこで…。)あれこれと考えを巡らせている内に、眠くなったので消灯。

その翌日。(誕生日から2日後)

「いってらっしゃーい。」

子供たちがお迎えのスクールバスに乗り込むのを、ベランダから手を振って見届けると出社。昨晩よりもかゆみが増している感じ。湿疹も心なしか増えている気がする。

昼前になるとかゆみはピークに達した。いまやすっかり落ち着きをなくした私。

「昨日のケーキがあたったに違いない」

と同僚たちは口々に言った。最年長スタッフであるルシーが、食あたりに効く内服薬を買ってきてくれた。彼女のオススメだという。

(こりゃ有難い。)

早速飲もうとしたら、「この薬は副作用として強烈な眠気をもたらすから、家に帰って飲んだほうがい。」と彼女。そういえば、メキシコで市販されている薬の大半は日本のそれよりも成分が濃く、私たち日本人には強すぎることが多い、と耳にしたことがある。メキシコ人の彼女が飲んでもすごい眠気に襲われるくらいだから、私なら『眠りの森の美女』(「美女」は余計かい?)状態で、とても仕事にはならないだろう。というわけで上司から早退の許可を取りつけた。

会社から歩いて10分程度。帰宅してすぐに薬を飲んだ。すると、案の定モ〜レツな眠気が。ふらふらとベッドに向かう。目覚めた時には日は暮れかかっていた。

プルルルルル…。

そこへ電話のベル。声の主はスサナだった。8時に迎えに来てくれると言う。(そうだった…。)私は彼女とその親友・ベティを夕食に招待していたのだ。日頃から何かと世話になっているふたり(日本食がダイスキ)に、かなり前から「本格的なおスシ屋さんに連れて行ってあげる!」と約束していたのだ。

待ちきれない様子が受話器から伝わってくる。早退しておきながら外食、それも贅沢におスシなんて少々気が引けたが、今更断るわけにもいかない。

数時間後。ホテル日航メキシコ内にある日本料理屋『弁慶』の鮨カウンターに陣取った3人。鮨をつまみながら、日本ビールをグビグビーってな感じで、すっかりご満悦のスサナとベティ。薬が効いたのか、私の顔と両腕の赤みは治まっていた。(来てよかったな)お茶をすすりながらひとりごちるオトキータでありました。めでたしめでたし。

それから3日後。

何てこったい。かゆくて気が変になりそうだ。どうやら、金曜日にナマ物(鮨)を食べたのがいけなかったらしく、薬で抑えられていたはずの名も知らぬ菌たちが、私の体内で再びその勢力を強めている。「食あたりの時にナマ物はダメよ。」ある友人にそう言われていたのに、タカをくくって食べてしまった。それでも一応は反省して、週末は家でおとなしくしていたのに。日曜の夕方、すっかり気が滅入っていた私を友人二人がドライブに連れ出してくれたのを除いて。病院嫌いの私だが仕方あるまい。会社に連絡を入れて事情を説明した後、日系人のおじいちゃんドクターがやっている診療所へと出向いた。彼はその昔、マンゴーの皮にかぶれて悲惨な目にあった私を救ってくれた恩人である。今回もまた、なぜか身長と体重を量らせられ、その後でお尻に注射。薬を3種類処方してもらって帰途につく。

更に数日後。

朝起きて鏡を見た。

(げっ。)

そこにはこの世のものとは思えない顔が映っていた。

「………。」

信じたくはないけれど、どうやらこれは私らしい。カフカの名作の如く、一夜にして“エレファントマン”に変身してしまった。針で刺したらパチンと割れそうなほど、パンパンに歪み膨れ上がった顔。ところどころできている赤い湿疹が、その人間ばなれした形相に拍車をかけている。まぶたは異常なほど腫れ上がり、それによって奥へ奥へと押しやられ、ほとんど開かない目。良く言えば顔面パンチを数時間受け続けたボクサーといったところ。

慌てて日本の我が家に電話を入れると、母親が出た。泣きながらことの次第を話して聞かせたら、

「あらあら、可哀想にねェ。でも、こんなことめったにないから、記念に顔写真でも撮っとく?」

「………。」

涙、涙、涙、あぁ涙。完全に他人事だと思ってる!

その日は一日中ブルーな気分で部屋にこもっていた。夜になりさすがに泣きつかれた私は、祈りながら眠りについた。

変身の翌日。

怖くて鏡を見る勇気がない。が、やっとの思い、あえて例えるなら、試験を受けて落ちたと確信した受験生が、それでも…と“一るの望み”を託して合否通知を開く時の心理状態で鏡の前へ。

目を開けると、そこには昨日と同じエレファントマンが…。かすかな期待を打ち砕かれ、愕然とする。

あぁ、早く人間に戻りたい…。ショックと不安で目まいすら覚える。

更に数日経過。

日に日に、性格が暗くなっていく私。会社を休み、勝手に面会謝絶を決めこんで誰とも会わない日々。一向に良くならないことに対する焦り、怒り、絶望。“こんな顔、親にだって見せられない。” 

この頃になると、私はよく無意識のうちに祈っていた。神様、仏様。美人にして下さい、なんて贅沢は言いません。せめて、元の顔に戻してください…と。

鏡を見てちょっと笑ってみた。不気味だった。

夕方になって、会社の同僚から電話が入った。私の友人・マリコがオフィスに来ていると言う。

彼女は一時帰国していた日本から留学先のキューバへと戻るところであった。キューバ−日本間移動の際、乗り継ぎのため、いつもメキシコの我が家で1泊して行くのだ。

そうか、今日だったんだ…。

「大丈夫? 会社休んでるんだって?」 

心配そうな彼女の声。

受話器を片手に、私は友情とプライドの間で揺れていた。

(彼女を泊めてあげたいけと…でも、こんな自分は見られたくない…。)

その時の私にはまさしく究極の選択であった。

「アパートまでひとりで来れる?」

この時にはもう、“諦めに限りなく近い、開き直りの境地”に達していた。それで、ちょっとは気が楽になり、ついでにお買い物もお願いした。人に会うのは何だか久しぶり。

彼女の到着を告げるブザーの音。階段を降りてドアを開ける。

「いらっしゃい。」

「……。」

私の顔を見て彼女は明らかに戸惑っていた。

(自分では大分見慣れて来たせいか、鏡を見ても対して驚かなくなっていたけど、やっぱり酷い顔なんだ。)

そう思うと悲しくなり、ついつい口数が減ってしまうのであった。

その晩、私達は、ワンルームの小さな正方形のテーブルに向かい合って座りながらも、決して視線を合わせることなく、互いにあさっての方向を見つめながら、話し続けた。端からみたら、それはとても異様な光景だったことだろう。

変身の原因、それは服用した薬による中毒だった。

例の診療所で処方された薬のひとつに、ペニシリン系の強い抗生物質が含まれているカプセルがあった。普段ほとんどと言っていいほど薬を飲まない私の体はそれに激しい拒絶反応を起こしたのだ。

子供の頃から、錠剤がなかなか喉を通らなかった私は、薬を持ち帰って数日の間、その大きめのカプセルを、何度挑戦しても飲み込めずにいた。それを、“湿疹がいつまで経っても治らないのは、このカプセルを飲んでいないからだ。この薬が一番高かったのだから、一番効くはずだ”と思い直し、時に泣きながら、水を何杯も何杯も、吐き気がするまで飲みながら、なんとか処方箋どおり服用するようになって間もなく、私はエレファントマンに変身した。

自分の涙ぐましい努力が報われなかっただけでなく、逆に仇となってしまったことを知り、悔しがるオトキータであった。負けるなオトキータ! ゆけゆけオトキータ!

                         (完)        


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