オトキータのメキシコ運転日記(2)


ある朝のこと。果敢にも車庫出しに挑んでいた私。アビラ家の庭の右端に位置する、白い鉄製扉の出入口は、傾斜している上に幅が狭く、若葉マークの私にとっては“無事に会社までたどり着くための第一関門”であった。

あ〜〜、ハンドルさばきが上手く行かない。悪戦苦闘の末、ガガガガガーッ…パリン。がぁーん!また、ぶつけちまった…。

そう、あれは数週間前。オフィス地下の駐車場入口で右折しようとした際、コンクリート柱に、ワーゲン特有の(タイヤを覆った)出っ張り部分とバンパーを見事にぶつけてしまったのだ。
う〜む。2度あることは3度ある。幸い(?)修理には出していなかったので、グシャリとへこんだその部分には、柱の黄色がしっかりと付着しており、塗料がはげた部分は錆び始めていた。この“出っ張り”さえなければ…と何度思ったことか。

私の愛車が発した妙な音を聞きつけて、大工部屋で仕事をしていたお父さんがやって来た。エヘン、我が家のホセお父さんは、この町の名大工なのだ。
道端に半分だけ車体を突き出して傾いている、哀れな愛車の横でオロオロしていた私を見て、「おやおや、オトキータ、またぶつけちゃったんだね…。」と優しく言う。

「お父さん…。今日は何だかついてないから(“運”じゃなくて“運転”の問題だって…。)、ぺセロ〔*乗合いの小型バスで、街角であれば何処でも乗り降りできる。前を通りかかったら、タクシーみたいに手を上げて止める。日本のトラック野郎の如く、運転手の好みに合わせて、思い思いの内装が施され、フロントガラスには、よく「マリア」とか「パオラ」とか、女性の名前のステッカーが張ってある。もちろん音楽もガンガンにかかっている。〕で会社に行くことにします。」とすっかり自信喪失の私。

「落ち込まないで元気を出して。私が車を出してあげるからちゃんと運転して行きなさい。」
そう言って車に乗りこむと、お父さんは華麗なハンドルさばきで、車を道路脇に寄せてくれた。
「さあ、しっかりね。」
熱心なカトリック信者である彼は、私の安全運転を祈願して十字を切って送り出してくれた。

「行って来ます。」
緊張した面持ちで運転席に身を沈める。心臓はまだバクバクしている。大きく深呼吸をしてから、サイドブレーキを下ろし、ゆっくりと発車。
(もう大丈夫。)
ただ真っ直ぐに進んで、教会のある最初の角を左折しようとした時、反対側から、アビラ家の敷地内で文房具屋を営んでいるドン・マリオがやってきた。彼の車もワーゲン社のカブトムシ。彼は15年以上も昔、アビラ家の長女アラセリの彼氏であった。度々彼女を泣かせていた当時のワルも、歳をとってからはすっかり円くなったとアビラ一族の間ではもっぱらの評判である。

私に気づいたドン・マリオ。
オラ!(やぁ)、と大きく片手をあげると、クワバラクワバラとでも言うように、おどけた調子で十字を切ってみせた。まるでこの後に起こる出来事を予期していたかのように…。

彼に挨拶を返そうと、思わずハンドルから手を離した私。何たること! 不覚にも、そのまま彼の方へと突っ込んで行ったのであった。グシャ。
あぁ、もう立ち直れない...。
ガラスの向こうで呆然とするドン・マリオ。

何であの時、ブレーキを踏まなかったの?
後でいろんな人に聞かれたが、自分でもよく分からない。きっと、まだ(最初にぶつけた時の)ショックから立ち直っていなかったので、脳からの指令を受けてブレーキを踏むまでに、いつもより数倍も時間がかかってしまったのだ。やはり、2度ある事は3度ある。

結局、この日は会社を休んだ。保険屋さんが現場検証にやって来るまでの間、私たちの車はそのままの状態で放置されていた。悲しいかな、私が悪いのは一目瞭然。そこへタイミング良く(?)、8時のミサを終えた信心深いご近所のみなさまが、教会からゾロゾロと出てきた。メキシコシティの外れにある、この小さな田舎町サンタ・ルシアでは、日本人と言うだけでも目立ってしまうのに。どうせなら、もっとカッコイイことで目立ちたかったよぅ…。

“免許をお金で買ってしまった私に、天罰が下ったのかもしれない…”
教会横で保険屋さんを待ちながら、うなだれるオトキータであった。

(3)に続く        


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