オトキータ、タクシー強盗に遭遇 の巻
ある金曜の夜。
午前中に電話で話した時、何だか元気のなかったアビラ家〔*私が2年近くも居候をさせてもらっていたメキシコ人一家〕の末娘ロサウラを食事に誘った。
当時、愛車を盗まれたばかりだった私は、(かつて私も勤めていた)彼女の職場までバスで迎えに行った。そして、そこからはタクシーを捕まえ、とあるイタリアンレストランへと向かったのだった。
10時を少し回り、ほろ酔い気分でレストランを後にする。
“明日はお休みだから、ロサウラを送りがてら、久しぶりにアビラ家に泊まろう。”
電話で無線タクシーを呼ぼうとしたら、
「まだ早いから、道で流しのタクシーをつかまえよう。」
とロサウラが言った。無線タクシーは流しのやつより、はるかに値段が高いのである。そこで、通りに出て待つこと数分。
ようやく停車したタクシーのドアを開け、乗り込もうとした私に、またしてもロサウラが言った。
「オトキータ、ちょっと待って。なんだかこの運転手怪しい…。」
走り去るタクシー。
すぐ2台目を捕まえたが、料金メーターが付いていなかったので、これも見送る。流しのやつに乗ると、運賃をふっかけられることが多いのだ。特に、料金メーターのない(あるいは壊れている)タクシーにはご用心、である。
ちょっと間を置いて3台目がとまった。運転手は野球帽をかぶった青年。今度はメーターもちゃんと付いている。あ〜よかった。
「オトカ、これに乗るよ。」
私はその声に続いて乗り込んだ。
タクシーはフォルクスワーゲン社のセダン。(通称カブトムシ) かつて、まだ独身だった秋篠宮殿下も乗っていた。彼のは、たしか黄色だったと記憶している。私の愛車も黒のカブトムシだった。そう言えば子供の頃、“ワーゲンを続けて3回見たらいいことがある”という噂があり、道行く車に必死で目を凝らしていたっけ。
メキシコでは国内生産をしていることから、価格が一番安く、至るところでその姿を拝むことができる。2ドアで、車内はとても狭い。そのため、タクシーとして使用する場合、必ず助手席が取り外してあり、そこから客が乗り降りできるようになっている。
走り出してから5分程たった頃だろうか。人気のない真っ暗な道で、一度は信号無視をしようとしたタクシーが、突然停車。それからすぐにバックした。と、その瞬間、あれよあれよ…という間に2人組の男が! 手には拳銃と果物ナイフが握られている。一人は運転席の横スペース(本当なら助手席のある部分)にしゃがみこみ、もう一人は私の横に腰をかけた。
「目をつぶれ!」
呆然とする私達に怒鳴る強盗。
「おとなしく言うことを聞けば何もしない。外から怪しまれない様、顔を上げて座れ。背筋をちゃんと伸ばせ! いいか、目は絶対開けるな! 開けると撃つぞ!」
恐怖で震えが止まらない。悪い夢なら早く覚めて欲しい。
「バックをよこせ。」
タクシーが再び加速し始めるなり、私の横の、兄貴分らしい男が言った。私達は目をつむったまま、握り締めていたバックを無言で手渡す。どうやら中身を吟味し始めたようだ。兄貴分が、銀行へ向かうように、と運転手に指示を出す。野球帽の運転手が共犯であるかどうか定かではない。
運の悪いことに、私はこの日に限って、クレジットカード1枚と、普段は持ち歩かないデビットカード〔*現金を下ろしたり、支払い金額が口座残高内であればサインひとつで食事や買い物ができるカード。メキシコでは一般的。〕2枚を所持していた。
ロサウラは、と言うと、給料振込先のデビットカードを1枚持っていて、そこには数日前に振り込まれたばかりの彼女の半月分のお給料が全額入っていた。〔*メキシコでは給料支払いは月に2回。〕
カード発行銀行は、ふたり併せて3行。強盗はさすがプロ!(→感心している場合じゃぁない…。)私達から暗証番号を聞き出すと、さっそく各残高を調べにかかった。毎回、弟分が車から降り、私達を乗せた車は、兄貴分の指示に従って、周辺を回っていた。
「シティバンクのクレジットカードの暗証番号が違う!」
再び乗り込んできた弟分 が言った。
「なんだと? どいつのカードだ?
怒鳴る兄貴分。
それは私のカードであった。シティバンク発行のカードは2枚あったので、彼らはてっきり同じ暗証番号だと思ったらしい。私は、そのクレジットカードの暗証番号を知らなかった。カードを申請してまもなく、銀行から確かに番号が郵送されてきたのだが、一度もそれを開封しなかったのだ。現金を引き出すために作ったカードではなかったから。
さっき、暗証番号を言うようにと脅されたとき、敢えてそのことに言及しなかったのがいけなかった。
「そ、そのカードは私のですけど、暗証番号は分かりません。」
「嘘をつくな! 言わないとヒドイ目にあうぞ。命さえあれば、こんなはした金なんてまた稼げるだろうが!」
声を荒げる。
「本当に知らないんです。し、しっていたら、教えてます。」
「まだしらばっくれるつもりか! おまえが思い出すまで、解放してやらないからな!」
「オトカぁ、ほ、ほんとに覚えてないのぉー...。」
上ずった声で、ロサウラが私に問いかける。
(どうしよう…。)
切羽つまった私。ええ〜い、こうなったらやけくそだ。
「あんた達が言うように、今の私には、金なんてホントくそ食らえなの! でも知らないものは知らない! それに、そのカード、2000ペソ(約200ドル)分しか使えなくて、あんたがさっき腕からはずした時計、それ、昨日買ったんだけど、それと今日の夕食代とでもう残高はないのよ!」
と、大声で怒鳴った。
何とこれが思わぬ効果を発揮。それまで丁寧な口調で答えていた私が、急に下品な男言葉を使ったことで、嘘をついていないことが信じてもらえたのだ。
ふぅ。命拾いをした…。
結局のところ、3時間以上も連れまわされ、夜中の1時過ぎになって、ようやくサン・ラファエルという地区に放り出された。その間、ずっと目をつぶり、背筋をピンと伸ばした状態で座っていた。
メキシコでは、キャッシュディスペンサーから24時間現金が下ろせるが、口座元の機械からでも、上限は日に3000ペソ(約300ドル)迄と決まっている。そこで、賢い彼らは、“翌日扱いになる午前零時”を待って、再度お金を引き出したのだ。
カブトムシは走り去った。暗闇に取り残されるふたり。張り詰めていた糸が切れたかのように、私達は、ほとんど同時に泣き出した。
「あ、お肉、置いてきちゃった。」
まもなくして、ロサウラがポツリ、と言った。
そう言えば、レストランで食べたステーキがあまりに美味だったので、ホセお父さんへの手土産にと、残りを包んでもらっていたのだ。彼女は、それを座席の一番奥に置いていたので、強盗は最後まで気づかなかった。
「忘れて正解。だってさ、最後の最後によ、残り物のお肉のせいで殺されてたらマヌケすぎるよぉ…。でもさぁ、おいしかったよねぇ…、お肉。」
と、私は弱々しく答えた。そして、私達はグショグショの顔を見合わせると、今度はほとんど同時に噴き出した。
「プ〜ッ。ハハハ…。」
辺りを見まわすと、時間が時間なだけに、全くと言っていいほど人通りがなく、何だか危険な感じ。ここでまた別の強盗が現れたら、まさに一巻の終わり。私達が文無しだと気づいたら、乱暴されるのがおちである。そこで、震える足取りで歩き始め、まだ明かりの灯っていた一軒のさびれた飲み屋の前までたどり着いた。事情を説明し、電話を貸してくれるようにと頼む。
カウンターにいた、小太りの女主人は露骨に嫌な顔をしたが、彼女の旦那らしき男が、困ってるんだから…と、コードレス電話の受話器を渡してくれた。
「長電話しないでおくれよ。高くつくから。」
と女主人。血も涙もない人間とは彼女みたいな人だと思った。店内は酔っ払いで騒がしく、私達は受話器を手に店の外へと向かった。
ロサウラが、両親に心配かけたくないから、と一番上の姉・アラセリ宅に電話を入れている間、私は泣きはらした目をして、その横でしゃがみ込んでいた。と、そこへ、白いブラウスと、色褪せた黒の、ぴっちりとしたミニスカートに身を包んだ、ケバケバの女がやってきた。
彼女は同じようにしゃがみ込み、私にクシャクシャの10ペソ札を握らせると、ぶっきらぼうに言った。
「受話器を返す時、これをウチの女主人に渡しな。」
剥げかけの赤いマニキュアが眩しかった。それから彼女は、私の肩をポンポン、と叩くと、再び店の中へと姿を消した。
涙があふれ出た。
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