■■ ヒスパニックの逆襲 ■■

今以前私が書いたこのヒスパニック・レポートの中で、ヒスパニックが集中する三大地域や彼らの特徴を書きましたが、覚えておられるでしょうか?今日は、その中で最も影響力がありラティーノ集団のマジョリティーであるメキシコ系移民について話をしたいと思います。

今年の夏、「メキシコ人が消えた日」という映画が米国で上映されたそうです。内容は、メキシコからやってきたヒスパニック系住民がある日突然、カリフォリニア州から姿を消してしまうというものです。これを聞いただけで、こんな風景が思い起こせます。農地で働く季節労働者、レストランの従業員、建設現場やビルの清掃などに従事し、社会の底辺で仕事をする人々がいなくなり、州内各地が街としての機能は麻痺し、市民がパニック状態に陥る光景です。

2004年9月16日から東京で、「ヒスパニックビート2004」という映画が上映されるのを機に、米国のヒスパニック問題をあらためて問い直してみましょう。米国大統領選を控え、日本の新聞などにもヒスパニックに関する記事を目にする機会が多くなりました、特に、2004年6月12日に、NHK衛星放送のBSチャンネルで、世界潮流「ヒスパニック・パワー アメリカが変わる」と題する90分ほどの番組が放映されたのは、注目に値します。この番組の内容については次回のこのレポートの中で話したいと思います。

さて、今、米国や中南米で話題になっている、米ハーバード大学教授サミュエル・ハンチントン(77才)の著書 "Who Are We? The Challenges to America's National Identity"(邦訳『分断されるアメリカ』集英社刊 2,800円)のなかで、ヒスパニックとりわけメキシコ系移民の米国社会への影響について書かれた箇所があります。第三部「アメリカのアイデンティティーに危機」の第9章「メキシコ移民とヒスパニック化」という50ページほどさいたところで述べられているのですが、実は、この中身は、この春ハンチントン氏が米国のフォーリン・ポリシー誌に発表した論文「ヒスパニックの挑戦」と同じものです。

彼の考えを一言で言えば、メキシコ系を中心としたヒスパニック系移民の増加が今後も続けば、彼らの存在はアメリカを文化的、言語的に分裂させかねないほど大きな脅威になってきている、ということです。すなわち、米国文化の主流であるアングロ・プロテスタントの価値観や共通語の英語を変えてまで、多文化主義化する必要はないと結論付けていることが注目されています。彼の主張については、中南米と米国からいろいろな反論が展開されています。

これから、第9章「メキシコ移民とヒスパニック化」の中で展開されている見出しを追いながら、私なりに彼の注目すべき考えを紹介します。ちなみに、この章では、「マイアミのヒスパニック」の箇所以外はすべてメキシコ移民に関する記述になっています。

1) メキシコ系またはヒスパニックの挑戦
メキシコ移民は全米各地でヒスパニック化を推進し、ヒスパニック社会にふさわしい文化、言語、経済の慣行を広めたため、アメリカは文化的に二分され、英語とスペイン語の二つの公用語を持つ「アングロ - ヒスパニック社会」へと変貌する可能性が生じてきたと、結論付けています。

2) メキシコ移民はなぜ異なっているのか
西側先進国で、第三世界の国と陸続きで国境を接している国はアメリカだけです。メキシコから3200キロに及ぶ国境を超えて大量の移民が今日でも流入しつづけています。2000年のメキシコからの移民数は784万人でずば抜けて多く、上位5ヶ国の中国、フィリピン、インドでその数はせいぜい100〜140万人です。2000年のメキシコからの不法滞在者数は、480万人で全体の69%を占めています。米国で不法移民と言えば、メキシコ人をさすことになります。

ヒスパニックは、局地的に人口集中する傾向があるのは良く知られた事実です。たとえば、南カリフォルニアのメキシコ人、マイアミのキューバ人、ニューヨークのプエルトリコ人やドミニカ人などです。2000年にはロサンゼルス住民の46.5%がヒスパニックであり、その64%をメキシコ人が占めているという驚異的な数字に驚かざるをえません。

米国の領土に対する過去の所有権を主張できるのはメキシコ人です。米国南西部は、1846年から始まった米墨戦争でメキシコがアメリカに負けて土地を失うまではメキシコ領土の一部でした。南西部でスペイン語の名がついた土地が多いのもこれでうなずけます。メキシコと国境を接するテキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの各州にメキシコ系移民が際立って多いのはこのような歴史的な背景があり、「自分の故里に帰ってきただけ」というような感覚を彼らは持ち合わせているのかもしれません。

3) メキシコ人の同化の遅れ
米国へどれだけ同化したかを表す尺度として、言語、教育、所得、市民権、異民族との結婚、アイデンティティーなどが考えられます。メキシコ系移民は他の移民に比べて同化への努力が不足していると、著者は断言しています。特に言語の習得は同化の最低条件ですが、英語を上達させようとする姿勢が見えにくいとも言っています。

高校中退者の割合の高さなど教育水準の低さから、メキシコ移民は経済的階層の底辺にいるのは事実かもしれません。彼らの帰化率も他の移民集団に比べてかなり低く、その最大の原因は不法移民が多いからだとも言えます。同化ぶりを如実に示す例として、ヒスパニックが福音派のプロテスタントに改宗した場合を著者はあげています。

4) 個人の同化と移民地域の結束
メキシコ系アメリカ人が高等教育を受け、社会経済的に進出して米国の中流階級の仲間入りをするようになると、アメリカの文化を拒否して自国文化を信奉し、それを普及させる傾向が強くなるだろうと、ハンチントンは述べています。

現在の米国南西部のメキシコ系移民の逆襲は、メキシコ人が米国に奪われた領土を奪還するいわば「レコンキスタ」(国土回復運動)と位置付けると分かりやすいかもしれません。ニューメキシコ大学のある教授はこんな大胆な予測をしています。2080年までには、米国南西部の地域とメキシコ北部は合併し、新しい国家「ラ・レプブリカ・デル・ノルテ」(北部共和国)を形成するだろう。

5) 南西部のヒスパニック化
この箇所は前段のマイアミのヒスパニック化と対照して書かれたものと思います。随所に、キューバ系移民とメキシコ系移民の違いを説明していて興味がつきません。

南西部のヒスパニック化は、下から上へと政治的に動かされたもでした。メキシコ政府は、米国への移住を奨励し、米国在住のメキシコ人と関係を維持して本国に送金するように仕向けています。2004年7月7日の読売新聞の報道によれば、現メキシコのフォックス大統領は、2004年1月に発表したブッシュ大統領の不法移民の合法化案について、「一つの提案にすぎず、国民の自由な移動を実現するための戦いを続ける」と述べています。

マイアミとロサンゼルスで聞くスペイン語の持つ意味合いについて鋭い指摘があります。マイアミのスペイン語は、レストランで食事をする人や車や庭木を所有する人の話す言葉です。しかし、ロサンゼルスでは、非ヒスパニック系白人がかろうじて気にとめる程度の言葉で、周囲の騒音の一部でしかありません。ガソリンスタンドで働く人やレストランでテーブルを片付ける人たちの言葉なのです。同じスペイン語でも話される地域でその受け取り方が違うのです。

最後に、私が興味を持っているヒスパニック・マーケティングについても著者は簡単に触れています。著者がヒスパニックの存在を肯定した唯一の記述とも考えられます。3800万人いるヒスパニックのすべてが消費者であり、2000年の年間購買力は4,400億ドルと推定されています。アジア系移民や黒人を含むエスニックマーケットの中でも、ヒスパニック市場は、旺盛な消費意欲に支えられて巨大な市場を誇っています。

米国の消費市場は非常に細分化されていて、特定の集団の志向や趣味に合わせて販売戦略を考えるのが一般的です。ヒスパニック市場は雨後のタケノコの勢いで膨張しており、特に彼らの嗜好に合わせた各種製品が誕生しています。スペイン語の新聞、雑誌、書籍、放送などのメディア関係から一般消費財まで幅広くマーケットが存在し、成長を続けているのです。

たとえば、2004年8月24日の読売新聞によると、日用品大手プロテクター・アンド・ギャンブル社は、昨年広告費の1割をヒスパニック対策にあて、洗剤にヒスパニック系好みの香料を調合した新製品を発売しました。チョコレートの老舗ハーツは、今秋からヒスパニック向けにスパイスを効かせたキャンディーを販売します。また、食品スーパー大手のクローガーも一部の店舗をヒスパニック向けの内装に替えました。

そのヒスパニック・マーケティングでも、さらに特別な層としてメキシコ人、キューバ人、プエルトリコ人向けに細分化され、企業はきめ細かな対応を迫られているのが現状です。ヒスパニック市場でのシェア拡大を目指す企業買収・提携も相次いでいます。

つづく