(原題 Death in Granada)
【あらすじ】 新聞記者のリカルドは、フェデリコ・ガルシア・ロルカの死をめぐる謎を解き明かすために、数年前から本を執筆している。彼はロルカと同じスペイン・グラナダの生まれだが、スペイン市民戦争勃発直後、一家でプエルトリコに亡命してきた。「人生にも、執筆にも行き詰まった」と感じていた彼は、スペイン行きを父親に告げる。そして、父親の反対を押し切ってグラナダに帰ってくると、ロルカの周辺にいた人々への聞き込み調査を開始する。 リカルドは、ロルカの死の2年前の1934年、両親と親友のホルヘとともに、グラナダからマドリッドまで彼の戯曲『イェルマ』を観にやってきた。刺激的な表現・内容で賛否両論だった芝居を観たあとで、憧れのロルカその人と言葉を交わす。共和派と反乱軍の間の確執が激しさを増し一触即発の状態にあり、目下内乱勃発寸前という時代だった。親友ホルヘの父親は軍人で、ファシストから表彰されるような人物。1936年、反乱軍の武装蜂起が起きたその日、ホルヘは反乱軍の誤射によってリカルドの目の前で殺される。その数日後、反乱軍によってリカルドの父親が連れ去られ、夜遅く血塗れになって帰宅した。そして家族のスペイン脱出直前に何者かによってロルカは銃殺された。 その謎に迫ろうとリカルドがグラナダに戻ったのは1954年。ロルカの死後18年たったフランコ体制下のスペインで、内戦による心の傷をひきずる人々は、ロルカのことを口にしたがらない。何千、何万という人が軍によって連れ去られ、二度と帰ってこなかったのだ。そんな中、自ら証言をかって出る人物もいたが、人々の証言は一貫しておらず、多様なロルカ像が浮かび上がり、真実は一体どこにあるのか、謎は深まるばかり。「一体誰が引き金を引いたのか?」。そして、調査を進めるにつれ、リカルド自身も、次第に危険にさらされていく。 生きて帰れるうちにアメリカに帰るしかない、しかしあと2時間だけ時間が欲しい・・・と、最後の頼みの綱、闘牛士ガビーノの証言を求めて闘牛場に向かったリカルドは、ついに決定的な証言を得て、衝撃の事実を知ることになる・・・。 【鑑賞メモ】 ガルシア・ロルカ(1898-1936)は言わずと知れた、スペイン「1927年世代」を代表する詩人・劇作家。偽善・欺瞞を嫌う彼は体制にこびない自由な表現方法を貫き、ファシストには快く思われていなかった。そしてスペイン市民戦争勃発直後の1936年、38歳で暗殺されるが、一体誰がロルカを銃殺したのか、その死はいまだ謎に包まれている。 スペイン市民戦争はスペイン人のみならず、国際旅団の名のもと多くの国際義勇兵を集めた戦争。もちろん、日本からも。ファシズム対自由主義の闘いとして、多くの文化人をも巻き込んだ象徴的な戦争だった。スペイン内戦と聞いてまず思い浮かべるのが、反乱軍がバスク地方のゲルニカを爆撃し、一般市民を大量虐殺した様を激しい怒りを込めて描いたピカソの大作、〈ゲルニカ〉。内戦後フランコ独裁政権に反対して西仏国境の寒村に亡命し、のちに国連会議場での演奏に先立って「私の故郷カタロニアでは、鳥たちが、ピース ピースと啼きながら大空に飛んでいくのです」と世界に訴えた、パブロ・カサルス。ロバート・キャパが報道写真家として名をなしたのは、この戦争で戦った市民や義勇兵を一人一人生きた人間として描き出した写真によってだった。ジョージ・オーウェルやヘミングウェイは義勇兵として内戦に身を投じ、その体験を元にそれぞれ『カタロニア賛歌』『誰がために鐘は鳴る』を著した。 そんな時代背景の中で殺されたロルカそのひとの人物像は、映画の中ではそれほど重きをおいて描かれていない。「彼は政治的人物ではない、政治的思想によって殺されたのではない」と証人の一人は述べる。一方で、死の運命を避けようとして結局はその運命に取り込まれてしまったアラビア人の物語をロルカが語ったと、彼の死を宿命論的に語る証人も出てくる。けれども、リカルドは「誰がロルカを殺したのか」を知ることに、異様な執念を抱いている。一体、ロルカは何故殺されたのか、リカルドは何故そこまでロルカを撃った人間にこだわるのか? そのあたりが今一つ描ききれていない気がした。それがもう少し内乱とのからみで描かれれば、この映画は、サスペンスもの以上の意味合いを持つことができたのではないか、と少し残念。 最後になるが、事実を知ってしまったことによって、リカルドと父親、幼なじみのマリア・エウヘニアの関係がどう変わってしまったのか、人々の心に世代を越えて深い傷跡を残した内戦をどのようにして乗り越えていくことができるのか、果たして時間がたてば終わりの来る苦しみなのか、そんな問いかけが映画の最後に感じられて、考えさせられる結末となっている。 【独り言】 イサベル・アジェンデの作品が英語で映画製作され、チリが舞台なのに主人公達は英語でしゃべっている、なんていうことはよくある。ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』もしかり。 この映画も、観る前は「ロルカが英語でしゃべるなんて」という点が少々ひっかかっていたのだが、実際観てみると実に緊張感のあるサスペンス仕立てで、思っていた以上に楽しめた。正直なところ、ロルカの詩作品に特別造詣が深いわけでもない筆者にとっては、アンディ・ガルシアのロルカがすっかり自分の中のロルカ像になってしまった。(この二人、全然似てませんが・・・。) 作品中効果的に繰り返し朗読される詩、”La cogida y la muerte”(”Llanto por Ignacio Sanchez Mejias”(1935年)(『イグナシオ・サンチェス・メヒーアスを悼む詩』)の一作品)は、映画の中ではもちろん英語に翻訳されているものの、アンディ・ガルシアによる朗読はなかなかに劇的で、映画の雰囲気を否が応でも盛り上げています。スペイン語の原文を読みたい方はこちらへ! 【アントニオ・マチャドの詩〜惜しまれたロルカの命、才能、人となり〜】 同じくスペインの詩人、アントニオ・マチャドの詩です。ロルカの死は、多くの人に悼まれました。今も、ロルカの作品は世界中で詠まれ、演じられ、論じられています。1998年にはスペインで、ロルカ生誕100年祭が盛大に行われました。 Se le vio, caminando entre fusiles Antonio Machado 【関連情報】 スペインはグラナダにあるロルカ一家の夏の別荘は、今は博物館として公開されています。この別荘でロルカは数々の作品を生みだし、また1936年に暗殺されたときもここに滞在していました。 ●1927年世代について知りたい方は・・・ Literature World-Web (スペイン語) POR KANAE |
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