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2002.03.18号(食べ物)

■■ グラントルタの野望〜菊川真志オアハカレポート第二弾! ■■

 グラントルタに弟子入りすることになったのはオアハカに到着した翌日だった。妻のキオと一年半ぶりに訪れたオアハカで、散歩がてらその小さなレストランの前を通りかかったのが夕方四時頃のこと。そしてその日の夜十一時には僕は厨房に立っていた。

 旅に出るずっと前から、それこそ何年も前から僕はポソレ、タコス、トルタを専門とするこの人気店で料理を教わりたいと考えていた。メキシコ人シェフから直接料理を教わる。どうせなら大好きなとうもろこしのスープ「ポソレ」がいい。ただし何も作戦を練らずに、厨房に入れてもらうのは難しいと分かっている。何しろ店はソカロ(中央広場)から歩いて一分という好位置にあり、とにかくいつも満席状態なのだ。店主のおじさんは、休む間もなく狭い厨房内を動き回り、果てることのない注文を黙ってこなしている。


夕暮れ時のソカロ。巨大な風船が売られるおなじみの光景。


小さすぎてつい通り過ぎてしまいそうな入口。

 だけど今回僕にはとっておきの秘策があった。店に関する記事を書いて、日本でグラントルタを紹介したいと持ちかけるのだ。幸い僕が紀行文を書けば載せてくれるホームページがある。さらに去年メキシコのガイドブックに僕の原稿が短いけれど掲載されている。この本を見せれば真実味も増すはずだ。本当に紹介記事を書くかどうかは別にして、店の繁盛に一役買うための取材なら断る理由がないにちがいない。目的を達成するためには、ときにハッタリも必要になる。


 夕方も四時を過ぎた頃、外の明るさをさえぎった店内で仕込みに忙しそうなおじさんを見つけ、こんにちはと僕は突然声を掛けた。おじさんは道路に面したテイクアウト用のカウンターから顔を出した。にっこりと笑ってくれたところを見ると、古いなじみ客の僕のことを覚えていてくれたみたいだ。僕はすかさず握手を求め−−今までそんなことしたこともなかったのに−−、まるで古くからの知り合いかのように親しげにあいさつをして、それからじわじわと取材交渉を開始した。

「今度オアハカについて特集するホームページがあって、そこでこの店をぜひ取り上げたいんです。僕は実はライターの仕事をやってて、記事は1ヶ月もすれば掲載される。もちろん写真付きですよ」

「何を書いて、どこに載るんやて?」

 おじさんは少々ぽかんとした顔で聞き返した(この店主が話すこてこてとしたスペイン語は僕にはまるで関西弁のように響いてくるのだ)。


グラン・トルタの看板には大きくポソレと書かれている。


厨房内は戦場だ。
とにかく注文は絶えない。

「ほら、インターネットのホームページってあるでしょ」
「ホームページ……」
「平たく言えば、コンピュータ上の雑誌みたいなもんです」
「そう言えば、英語のガイドブックにもうちの店載せてもろてるしな……」

 フランス人の旅行者が店にやって来て、グラントルタがガイドブックに載っているのを教えたらしい。

「よっしゃ、そんなことやったら今晩店閉めて十一時から、とうもろこしを仕込むからよかったらおいで」
「やった、ほんまにええの?」
「そのかわり終わるのは夜中の一時ぐらいになるで」
「そんなんかまいません」
「ほな、十一時な。待ってるで」
「ありがとう、エウセビオさん、恩にきるわ」

 その日初めて聞いたおじさんの名前を、僕はまるで昔から知っていたかのように呼んだ。こんなふうにまんまと取材をオーケーしてもらった僕は、まだ時差も疲れも取れないうちから到着翌日から滞在先のグスマン家を夜な夜なこっそり抜け出した。鍵は夫人からちゃっかり借りてある。たとえ夜が明けようと僕は仕込みにずっと立ち会うつもりだ。

 もう十年前のことになる。この町に語学留学していた頃、週末になると僕はグラントルタに通いつめた。目当てはもちろんポソレだ。決してこぎれいな店ではないし、テーブルや椅子は相当古い。席数は三十しかなく、一人で入れば相席はまぬがれない。決して居心地はよくないのにこの店が毎夜満席となるのは、やはり店主の味へのこだわりのおかげだ。巨大なとうもろこしと豚肉で作ったスープにはロホ(赤)、ブランコ(白)、ベルデ(緑)と三種類があり、特にコクがあってぴりりと辛いロホを僕は好んで食べた。営業時間は午後六時から十一時までの夜間五時間のみ。見るからに頑固そうな店主のおやじ、立ちこめる豚肉スープの香り、黙々ととうもろこしを口に運び、スープをすする客。日本のラーメン屋とそっくりな光景は、遠い異国から来た僕を奇妙になごませたものだ。


これがグラントルタのポソレ・ロホだ。

 日本人が外国から帰ってまず最初に食べたがるのはラーメンだとよく耳にする。僕もメキシコ留学中、よくラーメンが食べたくなった。だけど、帰国後しばらくして日本の食生活に慣れてくると、今度はグラントルタのポソレが食べたくなってしまったのだ。メキシコでラーメンを想い、日本でポソレに焦がれる。無い物ねだり以上の何かがそこにはあった。そして僕はいつしか「日本においてグラントルタ仕込みのポソレを作ってしまおう」という野望を抱き始めたのだ。この「取材」はそれを実現するための大切な第一歩であり、厨房潜入に成功した時点でひとまず滑り出し好調と言えるだろう。

(菊川真志)

つづく(次回からはエッセイコーナーに掲載します)


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